意の侭にならずに苛立つと言う事

 どんな事にも良く在る事だけれど、己の意のままにならずに苛立つと言う事がある。
けれど、それはひょっとしたら、自分の余裕−精神的、肉体的、金銭的−様々な余裕の無さがトリガーとなって引き起こされるものであるのだろうと思った。


 俺は最近、どうにも苛ついている。
傘を持たずに外に出れば、電車が一時止まる程の大雨が降り、歩いて帰るにも侭成らず仕方なく、高い金出してタクシーに乗ったり。
気分転換にゲームでもとしてみれば、コンピューター相手に襤褸糞(ぼろくそ)に負けて余計に苛々してみたり。
そして、俺の銭稼ぎの根幹を為すパチスロでは美味しいゾーン狙いでボーナス引いたとて、小当たりでしかも後に継続せず、追加投資で唯ひたすらに懐を軽くするのに好い加減、殴りたい衝動に駆られる展開であったり。


 俺の潰瘍はどうやらストレスによるものらしく、そのストレスは様々な理由が考えられはするが、こんな様子ではそのストレスを更に増加させるだけの悪循環。


 何かにその苛立ちの方向を反らし、敢えて余裕が出るのを待つ事を、癒し、と云うのであれば、俺は何によって癒しを得るのだろうか。
どんな事をしていれば癒しと成るのだろう。
温泉?旅行?酒?女?
そんな所に逃避する余裕すらないからこそ、余計に苛立つ。


 そして、何よりも意のままに成らず苛立つ、と言うのは、極端な意味で言えば自分自身を取り巻く環境そのものに対するものなのだろう。
だが、自分に都合の良いように世界が動くなんて事は全く無いし、そうなると、唯一つ出来る事は総てを受け入れる事しかない。


 この、自分自身に都合の悪い、博打すらも勝てず何をしても思い通りにならないような世界であっても、それをあるがままに受け入れる事しか、道は無い。
♪良い事ばかりでは無いさ でも次の扉をノックしよう
Fuck'in な日常であっても、それを受け入れて、そして扉を開けなきゃ。
扉を開けてもまた闇であっても、その次の扉があるだろうし。


 明日こそ、せめて投資分は回収出来ると良いな。
人を羨んだり、蔑んだりしないで良い日になると良いな。
何よりも、こんなに苛々することなく、朗らかに過ごせるように成れば良いな。