ロシア学校占拠事件に思う

 ロシアで非常に痛ましい、そしてあってはならない事が起こった。
1日に始まった、武装勢力による学校の占拠は、三日の午後の突然の爆発と特殊部隊の突入によって、被害者が500人近く出ると言う将に最悪の結果を齎した。


 女子供を人質に取り、そして容赦なく殺す事に対し、最低限のルールだとか人道主義だとか何にもなっちゃいねえ犯人達に対しまずは言いようのない憤りを感じたが、同時に、それはチェチェン関係であるからこそ形振(なりふ)り構っては居られないのだろうな、と言う事も察すると、余計にもの悲しくなった。
また、ロシア側もチェチェンが絡んでいるとなると節操がない。
2002年10月のモスクワにおけるドゥブロフカ劇場占拠事件で、人質など救うつもりなど毛頭無い突入作戦を展開し、大勢の一般人犠牲者を出した時と同じように。


 ロシアに対し、チェチェンが形振り構わない理由は確固として存在する。
ロシア帝国は16世紀からチェチェン侵略を開始。18世紀末からロシアは攻撃を強化し、19世紀前半の50年にわたるカフカス戦争でチェチェンは人口の半分を失う犠牲を出し、1861年ロシア帝国に併合された。
1944年のスターリンによる民族強制移住と言う弾圧の結果、わずか2日間でほぼ全民族が貨車に詰め込まれてカザフスタンに移送され、人口の約60%が失われたという。
91年、チェチェンが連邦からの独立を宣言したことで「第一次チェチェン戦争」が勃発する。
独立を否定するために94年12月にロシア軍が全面侵攻、96年8月末には停戦協定が締結されたものの、99年9月にロシアは再度侵攻し、全土を占領。
この戦争の犠牲者数は、人口が百万人強のうち17万人とも20万人とも言われる。
この数の大きさは、ロシアがクラスター爆弾、燃料気化爆弾、弾道ミサイルなどと言う所謂「大量破壊兵器」を使って一般人と戦闘員の区別無く、チェチェンの人間と市街と村を破壊した事に大きな理由がある。
そして、この戦争は今も尚終結していない。
面積にして岩手県並、人口はさいたま市仙台市−横浜の人口の1/3にも満たない数の人々が、400年の長きに渡って制圧され続けて来ている事が形振り構わぬ理由である。


 では、なぜそんな小さな所を未だにロシアが独立承認出来ないか。
複雑な事情が絡み合っては居るのだが、大きくは、
1、ロシア連邦統一国家維持という体裁
2、石油利権
3、クレムリンの政治事情
4、ロシアの、チェチェンに対する一種の差別意識
がメインであるだろう。この、大きな理由のどれもが、「大国のエゴ」以外の何者でもない事も重要だ。


 子供を人質に取り、そして殺すと言うやり方をまずは非難しなくてはならない、許してはならない。
しかしそれだけでなく、では何故そんなやり方をするのか、そうせざるを得ない理由があるとしたら、それは何か。
そこに目を向けぬ限り同じ様な事は何度も起こる。
そして、その理由が確固として存在し、その理由を解消する事によって以降、このような事態を避けられるのであれば、決して無駄な事では無いのだろうが、恐らくロシアはそうはすまい。
チェチェン人は危険である」「彼らはテロリストである」と言うレッテルを貼り、これからも弾圧を強めていく事だろう。
結果、新たな憎悪を連鎖させる事は明白であるのに。


 肝心なのは、この構図はロシアとチェチェンという形だけではない、と言う事だ。
アメリカ陣営とイラクイスラム国家)という構図としても見る事が出来る。
例えなど出す必要すら無いだろう。
テロリズムに屈してはならない。しかし、テロリズムを生み出す土壌そのものをまずは何とかしないとダメだ。
何によって暴力の連鎖が起こるのか、どうすれば断ち切る事が出来るのか、そこにこそ目を向けない限り、今回の様に何も罪のない、年端も行かぬ子供達が死んでいく日々は終わる事は無い。
そして、これは決して対岸の火事ではない。日本では起こらないなどと断言出来る時代では最早無くなってしまった。
だからこそ、俺達が目を向けねばならぬ事なのである。俺達自身が謂われなく殺されない為に。