ちょっとだけ、と言う甘えと品格

 風に誘われる侭に散歩し、そのまま電車に乗って街に出た。
本を買うつもりで本屋に寄ったものの、ちょっと立ち読みしていたら何時の間にか閉店のアナウンスが。
まあ、俺のちょっと立ち読みってのは3時間くらいだったりするのだが。
このまま帰るのも何だし、と全くの娯楽としてパチンコをしてみる事にした。



 俺達の世代には懐かしい「キン肉マン」という台があったので、釘を見て良さ気なのに座る。
色々な演出に「あ、懐かしいなあ」とちょっとしたノスタルジーを抱きつつ投資を重ねる。
次第に、これで原作者に幾ら入るのかな、と頭の中で算盤を弾く、
一台20万円として、その5%が著作料とすると1万円。
それが2万台売れたとすると、計2億。…2億か、とげんなりとした頃に当たる。



 まあ当たれば嬉しいもので。しかも確率変動(もう一回大当たり確定)だし。
鼻歌交じりに珈琲を片手に玉を打ち出していたら、隣に変な野球帽を被った、如何にもパチプロと云った風貌のおっさんが座る。
スロットにも云えるのだが、何故こういう所には変な帽子被った人とか、だっさいジャージ姿の人とかが多いんだろう。
幾ら「人は内面が重要」と云えども、外見こそが先ず第一印象として残る。与えられた先入観というのを払拭するのはなかなか労が居る。だからこそ、服装に或る程度気を遣う必然があるのに。



 そんな事を思っていたら、そのおっさんが足を広げ、俺の領土まで侵出してきた。
邪魔なので「すいません、足。」と云った所、「ああ、ちょっとだから」と言い訳して足を引っ込めた。
事を荒げる気は無いので俺もそれ以上何も言わなかったが、せめて一言謝るとかしろ。
つうかちょっとだから何なのさ。



 おっさんはハマって後何処かへと立ち去り、俺は俺で一進一退の後、結局投資を回収出来ない侭まったりと負け閉店の時刻。
今日はそう言えば週末で、道には酔った学生やサラリーマンの集団が大勢見受けられた。
ぽてぽてと歩いていたら居酒屋の前の歩道いっぱいに、コンパの後と思しき学生達が広がって話し込んでおり、通る事すら侭為らん。
「すんません、通りたいんだが」と云うと、その中の女の子が「あ、すみません!」と他の学生達に大声で「人通るから道あけて!」と指示し道を開けさせた。
多分、俺もこうだったんだろうな、と、幹事として飲み会の後で良く路上整理をしていた事を思い出しながら行き過ぎる。



 暫く後、別の大手チェーン居酒屋の前に、今度はサラリーマンの集団がやはり、道を塞いでいた。
同じように声を掛けたものの、話に夢中で反応ゼロ。もう一度、皮肉も兼ねて腹の底から声を出す。
「お」とだけ返事をし、話を続けながらスペースを開ける彼ら。と、云っても人が一人通れるかどうか。
もー。敢えてぶつかるも止む無しと云う感じで突っ込み、抜ける。
何か下手に年ばかり食うと謙虚さを失うな。一言も「すみません」て言葉無かったし。



 苛々としつつ、何故だろうと思いを巡らす。その答えを導き出させたのはパチンコ屋のおっさんの言葉。
おっさんも、そして学生達やサラリーマンも「ちょっとだけなら良いか」と云う思いがあったのだろう。
ちょっとなら足投げ出しても良い。
ちょっとなら道に広がっても良い。
ちょっとなら邪魔になっても良い。
各々の中での「ちょっとなら」という物が酒に依って限度が広がり、更に集団で居る事によって広がる。
小さなモラルの逸脱が少しずつ広がる事で、結果としては結構大きな逸脱となる。



 云うならば、「ちょっと」と云うのは自分に対する甘え、免罪符の様な言葉だろう。
勿論、俺も全然人の事を云えた義理じゃないし、何でも白黒つける事が良い事だなんて思わない。
特に、「曖昧な日本の私」と大江健三郎が語った様な国民性でもあるのだし。
ちょっとなら、と言うグレーな所があってこそ、日本人は環境を保てるのだと思う。
これが、欧米に比べて弁護士が少ない理由の一つでもあるとすら思う。



 なのだけど、同時に「ちょっと」のラインを見極めて置く必要もあるべき。
「他のみんなもそうだし」、「酔ってるし」とラインを逸脱するのを言い訳するのは只の逃げ。
気が大きくなり易い時ほど、気を付けておくべきで、そして一人でもそう言う人が居れば、越えられたラインは意外とあっさり修正する事も出来る。
先述した、学生の中の女の子の発言がそれを裏付けていた。
確かに彼らは道いっぱいに広がっては居たが、彼女の発言の後、少なくとも俺が通り過ぎて暫しは道を開けていた。



 人それぞれで「ちょっと」というレベルは異なる物だし、それを明確に定義付ける事も出来ない。
けれど、そこに鈍感に成る程、端から見て醜悪な姿を晒し兼ねない事でもある。
それが、ひいては品格というものにすら繋がるものではないだろか。
品格は人から与えられるものではなく、自分で作り上げるものだ。



 まず何よりも俺自身、気を付けねばならん事である。
でないと、こんな偉そうに云っておきつつ自分の立つ瀬が無くなってしまう。
それは余りにも、ダサい。
その事を気付かせて呉れたと言う意味では、彼らに感謝せねばならないな。