視聴率操作と俺達の必要な事

 日本テレビのあるプロデューサーが視聴者に対して金銭などを送り、番組を見る様に仕向けて視聴率を上げていた事が分かり、マスコミは騒然としているようだ。ソースは>>これ。
この事に対し日本テレビは一社員の暴走、としているのだが、こういう社員を生み出している環境そのものが悪いという事には気が付いて無い様だ。
あと、この件のプロデューサーの発言で「少しでも視聴率を上げたかった。こんな大きなことになるという認識はなかった」と言うのも幼稚さと言うか、ある種の情けなさを醸し出している。やれやれ。


 この手の話は良く、噂話の類の一つとして言い伝えられて来た。
他にも例えば、オリコンチャートの順位操作だとか、ね。
そもそも、やらせだの何だのと言われている所が、こういう事に手を染めぬ訳も無い。
数字こそが総て、と言う放送局や広告代理店の意向、体質、および本人や周囲の環境、そう言ったものが絡み合って、表に吹き出した形なんだろう。
数字が金に絡むと、必ずその数字を都合良く操作しようとする者が出るのは最早必然と言っても良いだろうが、それにしても見苦しいもんだ。
そして、これらの事は同時に、良い数字にすぐ乗る視聴者自身の愚かさみたいな物も示していると思う。


 多分、なんだけどな。
「この番組見てみ、視聴率高いし。」って言われるのと、「この番組見てみ、おもろいよ。」って言われるのでは、前者の方が多くの人が見るんじゃないだろうか。
それは、おもろい、と言うのが主観的なものであるのに対し、視聴率が高いと言うのは一見客観的なものであるように思えるからだ。
それに、日本は皆が見るから自分も見る、と言う風潮が強い。それもまた、関係在る事だろう。
実際にその番組が面白くて人気が出て、その結果視聴率が高くなるのと、皆が見てるから、或いは人気在るって聞くからと言う理由だけで見て、結果視聴率が上がるのとでは隔絶の感がある。
にも関わらず、数字は数字、結果は結果だから、それを鵜呑みにしてこうして必死になってる人が出たりする訳だ。


 自分で見て面白い、と思ったのならそれで良いと思う。口コミで広がる人気もまた、そのあり方の一つだし。
けれど、自分で判断をしないで他人の言うが侭に、なんとなく面白いような気がする、とか感じているんだったら、それは無意味なんじゃないかな、とも思う。
勿論、それはテレビに限った事じゃないのだが。


 それと、俺は何だかこの話が、偏差値とか学校名、或いは職業名での人間判断に似ているような気がする。
視聴率さえ取れれば、どんな品のない番組であっても優秀であり、そして逆に、どんなに中身が出来ていても視聴率が取れなければお蔵入り。
一方。サークルで、集団での犯罪をして居ても広告代理店に就職したりする一流大学生。どちらも、中身なんぞよりも一部の数字の方が大事な訳だ。
勿論、放送局も企業であり、ボランティアでやっている訳では無いから、利益追求の為には利益を出さないものを切り捨てざるを得ない。
なんだけど、その判断の仕方が一面的というか、短絡的というか。そう言う所が似てる。
そう考えると、この事は単なる莫迦なマスコミのしでかした一事件ではなく、構造として、俺達の周りに普遍的に介在する物にも応用が利くものだと思うのだ。


 視聴率にしても偏差値にしても、参考にはなるが絶対基準とはならない。
そこを勘違いして何時しか絶対基準にしちゃうから、おかしな事に成る訳だ。
そうしない為には、結局、短絡的思考を廃し、複合的な観点から価値基準を見出すようになるしか無い。
それは、マスコミに携わるような者だけではなく、俺達総てが、なるべく出来る様になるべき事だ。


 まあ、小難しい言い様だけど、考え方は簡単。
他人の言う事に惑わされず、自分の目で価値を見極める、つう事。
それが上手く出来ないからこそ短絡的になりがちではあるのだけど。
でも、「自分で判断する」というのは、自分で在り続ける為の一線でもあるとは、思うのだ。
だからこそ、安易に価値基準を委ねてはならないと思う。


追記 どんな番組が操作されていたのか、と気になったので見てみたら。
02年9月19日放送「芸能人犯罪被害スペシャル」 15.5%
02年9月26日放送「奇跡の生還芸能人版」    15.7%
03年1月 1日放送「生でハッスルテレビ」    11.1%
          「びっくり人間スペシャル」  17.1%
03年4月 3日放送「芸能人犯罪被害スペシャル」 10.5%
03年9月24日放送「奇跡の生還芸能人版」    10.2%


正直な感想として、良くこんな番組で10%取れたな、と。
この10%以上の数値、全部操作されてたとしか思えない。
少なくとも、俺なら金貰わない限り見ようとも思え無いな。余りにも魅力無くて。