WinnyやP2Pに関して−その2

 前回に続いて、またWinnyについて。
今度は、所謂TIPSサイトを作っていた人が家宅捜索だって。
前回、俺もP2Pの仕組みとか、Winnyの仕組みを軽く書いたけれども、ひょっとしたら俺もそれでとっ捕まる可能性も在る訳ね。
この戯れ事が必ずしも、あり得ない事だと言い切れなくなる辺りこそがこの逮捕劇の一番の恐ろしく、同時に愚かしいポイント。
仮にも自由民主主義国家を標榜しているのにね。


 前回は法律的な観点で、如何にこの逮捕がおかしなものか、また、法曹界に一石を投ずものであるかを語ったが、今回はまた別な視点で滔々と語ってみようと思う。


 CCCDについて書いた時にもちょっと書いたけども、著作権のあり方は、物事がデジタル化して来るに従って絶対に、相反するものとなる。
Winnyの製作者も「現行のデジタルコンテンツのビジネススタイルに疑問を感じていた。警察に著作権法違反を取り締まらせて現体制を維持させているのはおかしい。 体制を崩壊させるには、著作権侵害を蔓延させるしかない」と指摘していた。
その言葉を俺なりにまとめるならば、「著作権という既得権益にぶら下がった寄生虫を駆除する為に、Winnyと言うソフトで革命を起こせないか」と言う所だろうか。


 無論、俺個人としては兼ねてから延べている通り、著作権と個人の権利というものは非常に神経を使って段階的に考慮していく必要のあるものであると思っている。
個人の権利ばかりを優先しては著作を持つ人達の権利を侵害しかねないし、かといって著作権ばかりを優遇しては、結果として個人の権利を無視する事になりかねない。
良い例が件のCCCDで、金出して買ったCDが聴けないなんて莫迦らしい羽目になる。
だから、もし仮に製作者が著作権を侵害する目論見で開発して居たのならば、100%擁護する事は出来ないし、けれども、彼の気持ちもまた理解する事も出来る、と言う矛盾した事になってしまうのだ。
そしてこの矛盾は結局、元を(ただ)せば現行の著作権法に問題があるから、なのだが。


 ただ、このWinnyと言うソフト、或いはP2Pと言うシステムは、やり方によってはとてつもなく素晴らしいシステムにもなる。
分散コンピューティングという構想があるのだが、それは全世界のPCの余ってるパワーを少しずつ拝借して、スーパーコンピュータ以上の計算や分析をさせて仕舞おうというもの。塵も積もれば山となる思想。
同様に、世界のPCがそれぞれ共有するデータを参照出来るとなれば、家のPCがそのまま図書館のようなものと成る。
著作権というものを考えなければ、見逃したニュースやドラマ、或いは個人ではなかなか入手しがたい映像、絶版となった本、それらが何時でも、ネットのある環境さえあれば閲覧出来るのだ。
そう、将に世界規模のアーカイブが誕生する。


 俺は、NHKの深夜に時々やっている「NHKアーカイブス」という、昭和に撮られた様々なドキュメンタリーを放映する番組を結構見ている。
こういうのを、本当は放送局がサーバを立てて何時でも見られるようにしてくれれば嬉しいのだけれども、同時にサーバーのメンテナンスや維持に結構な金を企業などが負担してしまう。
それを、各個人が行えればメンテナンスなどの費用も結果として分散される事になり、視聴者は望むタイミングで閲覧出来る。
それが実現させていたのが、WinnyでありP2Pの思想ではないか。


 しかしその一方で、データがコピーされる事で実害を被るクリエイター達が居る事も忘れてはならない。
何処かで、彼ら彼女らの権利を保護し、そして収益を保証させなければなるまい。
現在では、音楽用のCD-Rなどには最初っからコピーされる事を想定し著作権料が上乗せされた金額になっている。
その要領で、PCや記録用メディア、インターネットのプロバイダなどに少しずつ、包括契約という形で金額の上乗せを行い、代わりにネットでの流通を保証する制度などを法制化するのはどうだろうか。
理想を言えば、そのデータがコピー、ないしは再生された回数に応じてその著作者に対し著作料が払われるようなシステムが良いだろうが、それは同時にある種のスパイウエアのようにもなってしまうというデメリットがある。


 ただ、何れにしても、逮捕された製作者の言う通り、既存の法やシステムではデジタル化していく作品に対して何の意味も為し得ないし、その一方で既得権益を何とか守り抜きたいと言う一部の者達によっていずれまた、この騒動の様な事は起こる。
そして、その度ごとにIT関連の技術革新が遅れてしまったりするのであれば、それは大きな目で、日本の国益の障害とすらなるだろう。
それよりも、何処かで譲歩し、長く、広い視点で物事を見据える姿勢を以て対処する事は、最終的には大きな収益を上げるのではないか。
どう考えても、広く浅く金を取る方が安定して収益を上げられると思うのだが。
ファイルの共有、アーカイブの思想が一般化すれば、より太い通信インフラの整備も需要が生じ、国として進めてきているITインフラ整備も「やるだけ無駄」という事は無くなる。


 この話は、二つの喩えが似合うだろう。
一つは、「北風と太陽」。
もう一つは、「ありときりぎりす」。
勿論、既得権益にぶら下がる方は、北風であり、きりぎりすな。