思想家と呼ばれて

 なんだか長雨に濡れ風邪を引き、それがずるずると長引いている。
寝ても、自分の咳で目覚めたり、ネオマジックパルサーつうスロを朝から160回転廻して全台ノーボーナスで顔を顰める、と言う妙にリアルで、かつどうしようもない夢や、同じく北斗の拳のスロ打っててまた単発かよ、と肩を落とすと言う、現実感バリバリの夢を見て目を覚ましたりと眠りが浅い一方、その分いつもよりも睡眠時間が長くて困る。なんとかしてください。
つうか夢ならもっと夢らしく、希望のあるものを所望します、俺。


 やっぱり夢は、記憶のデフラグにしか過ぎず、自分の体験がベースとなっている以上、モテてモテて困る夢や、トチ狂ったようにメダルが出てくるスロを打つ夢など見られないのだろうか。


 寝てたんで特に何かしら突っ込んだ事が有る訳じゃあ無いが、偶にはちんたらと書き綴る。


 今更敢えて言うべき事でもないが、俺のサイトは何処からリンクされたか、とアクセスを解析してる。
至極稀にだが、なんでここから? ってリンクや、なんでこんな検索単語で来たの? と言う人も居て趣深い。
大概は、個人のお気に入りや、或いはリンク集、それから「はてなアンテナ」という個人向けのリンク集がメインだが。
で、そのリンクを辿っていくと、偶にサイトの名前と管理人の名前、それからサイトの特徴や管理人の特徴などを記している人も幾人か居る。
そのサイトを俺が挙げる訳には行かないけど、俺やこの日記に対する記述として「思想家」とか、「日常の考察」「日々の哲学」なんて事を書いてくれている人達が居て、ちょっと照れる。


 哲学者、思想家。
やっぱそう言われたりすると嬉しい。
けれど、俺の文章って哲学か? とも思ってしまう。
日常の事に対する疑問なんて、誰にでも、普通にある事。
哲学、と言うとどうしても、堅そう、難しそうと言うイメージが先行しがちであるけれども、どんな些細な事であっても、それに対し疑問を投げかけ、答えを論理によって導きだしていく行動こそが哲学の基本理念である。
それを体系化していけるかどうか、またアカデミズムに認められるか否かが、歴史に名を連ねる思想家になれるかどうかの境目であって、逆に言えば、「疑問を抱き、理によって答えを探す」人であるのならば誰でもアカデミズムに染まらない市井の哲学者と言えるだろう。
俺がそうであるように、これを読んでいる貴君もまた市井の哲学者たり得るのだ。


 まあ、思想家とか哲学者なんて言われると嬉しい反面、なんか肩が凝る感じがして。
照れ隠し、って訳じゃないが、自分の思想家ってイメージを変に固着させたく無いのかも知れない。
単に、天邪鬼(あまのじゃく)なだけかも知れんが。



 後、全然関係ないけどネットを彷徨していたらこんなサイトにたどり着いた。
「楽しい! 役に立つ! 女忍者教室」
やっぱりくノ一限定なんだろうか。
役に立つ、って特殊潜入調査とか、暗殺とか煽動とかなんだろうか。
俺も入門して、行く行くは武神流飯綱落としとか武神剛雷脚とか出来るようになるんだろうか。
あとしゃべりは皆、「拙者」とか「御座る」とか「ニンニン」がデフォルトなんだろうか。
微熱の起こす妄想は続く。