ある「漢(おとこ)」の話

 一月以上に渡り従事してきた某大手家電メーカーでの、サービススタッフのサポートが終了した。
学生時代も含めて、俺は多くの仕事に携わって来たけれども、こんなに楽しい仕事は無かった。
それはお客さんにも恵まれ、また周りの方々が良い人達ばかりだった事に起因する。


 その中でも、俺がほぼ専属でサポートしていたN田さんと言う方から受けた印象は忘れ難い。
年齢は俺よりも少し上で、地元の消防団に所属している為にタフな体つきをしており、カスタムされたラリー仕様のランエボを乗り回す一方で、釣りやゲームを趣味としている事から良く話が合った。
また、俺の住んでいる所と彼の住んでいる所とはさほど離れてもいない。
だから、逗子葉山近辺の釣り場情報や、怖いところ、様々な事を話した。


 まだ、手伝って初めの頃だった。
社名ロゴの入ったスバルの白い軽ワゴンに乗り込み、家電のトラブルがあったお宅から移動している時の事。
道路の路肩に、轢かれて死んでいる猫が居た。
彼は傍目で確認すると、「ああ、かわいそうになあ。今度は普通に生を全うして欲しいなあ」、「急いで無ければ、どこか埋めてやりたいんだけどね…」と呟いた。
その時に、俺は一緒に仕事するのがこの人で良かった、と思った。全く同じ事を思ったからだ。
話を聞けば、捨てられている猫が可愛そうで家に連れて帰ったり、或いは偶に来る野良猫に餌をあげたりなどしている内に、気付けば10匹程の猫が家に入り浸る様になったという。
弱い者に対しての優しさは、動物に限ったものではなかった。
お客さんで、お年を召した方や、あまり経済的に余裕がなさそうな方だったりすると、時には自分の手間賃を頂かず、最低限の部品代だけ、或いは完全に無料で対処してあげる事も侭あったし、小さな子供が興味を持って作業を覗いていると、その子供が喜ぶような事をしてあげたりなどもしていた。


 逆に、マナーの悪い者に対しては容赦が無かった。
夏の陽射しが強いある日、海方面からの帰り道、車の窓からゴミやら吸い殻やらをぽいぽいと投げ捨てる若者達の車が在った。
彼は、「俺の葉山でそんな事すんじゃねえよ」と吐き捨てるや否や、投げ捨てられた吸い殻を器用にタイヤで踏み消すとそのままアクセルを踏み込み、真後ろ50センチの所まで近づいてその車を煽った。
道中暫し、つかず離れずその距離を保っていたが、こちらはお客さんの家に向かわねばならない。途中でその車と別れると彼は、さも残念そうに「こっちは会社の看板背負ってるから、これ以上出来ないな…、自分の車なら詫び入れるまでぴったりくっついて行くんだけど」と語った。
「N田さん、前にもやりましたね?」と問うと、ある事例を話し始めた。


 それは、地元の消防団の会合の後で数台の車に分乗し帰ろうとした時の事。
やはり火のついた吸い殻を彼らの目の前でポイポイと捨てた車があったそうだ。
彼らは、丁度交差点でその車がまた投げ捨てをした所で、車を降りてその吸い殻を拾い、こんこんと窓を叩いて窓を開けさせるや否や、「忘れ物」とまだ火のついている煙草を放り投げた。
当然、中に乗っていた男−所謂、チャラチャラした感じの男たちだったらしい−が「なんだコラ?!」と血気盛んに車から降りて一触即発の様相を呈す。
が、そこは屈強の消防団。「俺ら消防の目の前で火ぃ点いた煙草捨てるとは良い度胸だな?」と凄むと、その若いチャラチャラした男は当初の勢いは何処、慌てふためいて逃げたと言う。
しかしそれで終わらないのが哀れな所。
件の、ランエボでしつこく追跡し、高速に乗って尚、相手が幾らスピードをあげようと距離50センチを維持し続けた所−そら、カスタムされたランエボに普通の車がスピードで敵う訳はない−、相手は根負けし、ハザードを付けてパーキングエリアに入ると土下座して謝ったと言う。
そこで彼は「お前が捨てた煙草が原因で火事になって、誰か死んだらどう責任取るんだ。後始末するのは俺達なんだぞ。」と吐き捨て、戻ったと言う。


 言ってる事は筋が通ってるし、正しいのだけれどもやってる事が邪悪すぎる…。
話を聞いてそう思いつつも、決して厭な感じを抱くどころか寧ろ、清々しい印象を抱いた。
それは、決して彼が嘘をついたり、或いは大げさに話したりしている訳ではないだろう事を感じ取り、また、誰にでもそう言う事をする訳では無い事を知っているからだ。
実際に、その前に火事に携わった時の事、懸命に消火したものの亡くなった人が出た時の空しさを聞いていたから。


 弱いものに優しく、曲がった事を嫌う。仕事は丁寧で懸命、かつ様々な事に対応し、多くの経験を生かす。
そういう漢と俺は僅かの間だけだが、共に仕事をしていた。
無論、愚痴も零していたし、乳の大きな女の子の所に仕事に行けば、「あのお客さんの乳でかかったー!」などと妙に嬉しそうに語る。けれどもそれは、決して欠点ではなく、寧ろ取っつきやすさを表すものであった。


 思えば、今まで俺は、心底尊敬出来る様な人と会った事は無かった。
否、実際には会っていたのかも知れない。唯、己の未熟でその力量を識る事が出来なかっただけかも知れない。
だが、俺はこの年になって、そしてこのような境遇に於いてやっと、一人の尊敬すべき漢を知った。
俺は、彼のように弱い者に優しさを持ち、芯が真っ直ぐで、仕事の出来る男となりたいと思った。


 この、サポートの仕事は、気を色々と使い、ご飯だって殆ど食べる時間はなく、いつも車中移動しながら食べていたし、決して楽なものではなく、また賃金にしたって会社が払っているお金の3割程しか俺は貰っておらず、7割は派遣屋が持って行っている。
けれど、「あのようになりたい」と思える漢を知り、そして彼らと共に仕事が出来た事は、決して金では買えない経験だった。
その意味で、非常に感謝したし、また忘れ難い。
そう、この夏の事は、俺はこの先もずっと忘れ得ぬものとなるだろう。
様々な思い出と共に、彼への畏敬の念を胸に灯す。