My job of one day.

Wacrema2005-08-03

 この所、朝出社し挨拶を交わした後、社員の人たちから積極的に声をかけられたり、話を振られるようになってきた。
既述の通り、俺は期間限定の派遣サポーターであり、所詮余所者に過ぎないのだが、それでも当初のようにあからさまに余所者、と言ったあしらいかた、距離の置かれ方をされるのではなく、どちらかと言えば仲間として認知されているような印象を受ける。
たかがこんな事でも妙に嬉しいのが我ながら可笑しい。


 今日も仕事を始め幾つかのお宅を回った中で、最初にさるお宅に伺った際の事だ。
ハードディスクDVDを基盤を交換し修理し終わって組み立て直した所、チューナーの調子がどうもおかしくなってしまった。
初期不良と言う事もあるが、チューナーは交換した基盤とは関係が薄い。再度分解した所。
チューナーのパーツからぽろりと小さな部品が零れ落ちた。
何の事はない、俺が基盤をネジで止める際に間違えて長いネジを使ってしまい、余分にはみ出した所が部品を損傷させてしまったのだ。
俺がすべき仕事は社員の人たちを少しでも楽にさせる事であって労を煩わす事では無いのだ。
にも関わらず、いきなり足を引っ張るような真似をしてしまいブルーになる。
社員の人は「基盤の初期不良じゃないから良かったよ」と零れ落ちた部品を半田で接着しつつ言ってはくれたのだが。
申し訳ありません、と謝ると、「同じように見えるネジにも、実は色々と使われる理由があるんだ。」と教えてくれた。
例え数ミリの長さの違いしかないものであっても、その長さのネジが選ばれる理由が確固として在る。


 この話を聞いて成る程、と頷くと共に、これは人間そのものにも言える事なのではないかしら、とも思った。
良く「所詮会社の歯車にしか過ぎない」などという愚痴を聞いたりすることがあるし、読者諸君の中にもそういった思いを抱いている人も居るだろう。
しかし、例え歯車、ネジであったとしても選ばれている理由があるとするならば、それは決して安易に代替の効く代物では無い事もあるのではないか。
そしてまた、「その歯車でなくてはダメ」となる事、そうなるべく己を持って行く事。そういった事も大事な事なのではないか、と漠然と思う。


 更に幾つかのお宅を周り、TVの修理に伺ったお宅での事。
画面が出ない、という事だったのだけれど、テストした結果普通に画面も音も出ている。
おかしいな、と社員の方と共に分解し色々と試していると、子供達が寄ってきた。
TVは高圧電流が流れている。あまり近寄らせて感電でもされては一大事と、子供を引きつける役を自ら担う。
「あのお兄さんはテレビのお医者さんだから、邪魔しないでね」と言うと、子供はアニメの塗り絵を持って俺の所に来た。
「塗り絵か、上手だねえ」と考えても居ない事をべらべらとしゃべり、TVから引き離しておく。
その内、「お兄さんも塗って」とリクエスト。しょうがないので色鉛筆で塗り絵をする事に。


 色鉛筆を久しぶりに握るとはいえ、絵を描く事は慣れている。或る程度丁寧に色を塗り、影を付けてやると子供大喜び。
すると今度は「先生、女の子の絵を描いて」とのリクエスト。マジですか。
「先生と言われる程の莫迦で無し」という狂歌を思い出しつつ、ラフ程度に持っていたボールペンで書いてやると「凄い、凄い」とまた大喜び。終いには母親に見せに行く始末。流石にそれは想定していなかったので、物凄く恥ずかしくなる。
母親が「お兄さんはお仕事してるから邪魔しないの!」と叱ると、俺も一緒に叱られたような気分になる。


 それでも子供達は懲りず、結局、社員の方が色々と検証している間−この間は俺が手伝える事はないから結果は変わらんのだが−、ずっと絵描いたり色塗ったり。
そしてそれを一々親に見せに行く子供達。その度事に顔から火が出る思い。
結局、テレビの方は原因が分からず、また故障の症状も出ないので、また様子を見て貰うと言う事でそのお宅を後にする。
呼んだにも関わらず全然症状が出ないのでバツが悪そうな母親と、その周りにまとわりついて俺の描いた絵を見せる子供。
そしてそれを見て、気恥ずかしくなる俺。
え−と。俺の仕事、なんだっけか。少なくとも絵を描く事じゃあ無いよな。


追記 どうせならば、粗雑な絵を数枚描くよりかは一枚のイラストをしっかり描いてあげたら良かった。それならば俺も、少しは気恥ずかしさが薄れただろうに。