I'm living.

 抜糸をしてきた。
事故直後、俺の唇−と言うよりは上顎、鼻と唇の間−には擦りむいたか打ち付けたかして大きな傷が出来、そして一番酷い所は裏側まで貫通していた。冗談半分にいっそピアスでも通すかなどとも思ったが、ピアスどころかフックが掛けられる位の穴が空いていて、そこを縫った訳だ。
普段はガーゼで厳重に保護しているのでどうなっているかは分からなかったが、日が経つに連れて、口を開けたり話したりする毎に糸が引きつるような痛みを感じ、早く取れないものかと思っていた。


 消毒の為に訪れる病院で、その先生毎に言う内容や処置が変わり、傷を早く治す為の軟膏を塗られたかと思えば、まだ必要ないなどと止められたり、そろそろ抜糸と言われたかと思えばまだ早いなどと言われたり、何時になったら糸を抜いてもらえるのだろうと些か疑い深くなっていた所だったので、少し肩の荷が下りた気分。
糸を抜き終えてから唇に残る麻痺感、および以前に聞いた皮膚を移植する話を問うた所、僕は専門じゃないから分からないと言われる。
…え。俺は確かに形成外科に診察券を出して、こうして案内されている訳なのだけれど、専門じゃないって何かしら?
こちらは傷が後々まで残っては嫌だし、色々と知りたい事もあるから問うているのだけれども、どうも嫌々答えているのが見えるので俺も興が冷め、分かりました、日を改めてお聞きに伺いますとだけ言って病室を去った。


 病院に通うたびに、そばの道路の路肩には今もなお残る俺が流した血肉を眺める。
当時の真っ赤な色から近頃はドス黒い染みへと変化しているものの、他ならぬ俺が流したその染みに妙な愛おしさすら感じ、そして同時に日々少しずつ褪せていく事に寂寞とした感情を抱いている。
不思議なものだな、単なるタンパク質でしかないのに。そして他人のであれば「うわぁ」と思うようなものであるだろうに。


 もう洗顔などをしても大丈夫、と言う事だったので家に戻ってからじっくりと洗髪と洗顔をし、ゆっくりと湯に浸かる。
風呂から上がり鏡で傷跡を見る。
大きく腫れ上がり、赤黒く変色して見苦しい。ただ、貫通したと言う所は特に腫れて盛り上がっているものの穴が空いていた形跡は今のところ分からない。
内心、もっと酷い惨状を想定していたので肩すかしを食らった気分。悪い事では無いけれどね。


 大きく穿たれた筈の穴がこうして塞がり、そしてこんもりと盛り上がった肉の山、そして腕や手の甲にある深い傷を見ると、日が経つ毎に少しずつ塞がり、再生していこうとしているのが分かる。
−俺は生きている。
こんな事を思うなんて、莫迦らしい事この上ないと思われるかも知れないけれど、俺の細胞が生きたがって懸命になっている事でああ、俺は生きているんだなあと実感する。
そう言えば、確か吉野朔美の漫画の中で、主人公の女の子が献血に行き、血をい貧血状態のようになりながらも「血が作られている」事から生を実感すると言う描写があったけれど、あれもこんな感じなのだろうな。


 俺は時折、自らをして生に対して稀薄だと認識していた。それは今に始まった事ではなく、もう十何年も前からになる。
今年の抱負の所でも書いたが、妙に世の中に対し冷めた目があり、そして「どうせ何時かは死があるし、そしてそれは本当に何時やってくるか分からないのだから」と言う考えを持っているのだけれども、皮肉にも、血を流し痛みを知る事で生を実感している。
そう、俺の肉体は生きたがっていて、今も着々と補修作業を行っているのだと。