長野県の後退

 長野県知事選挙が終わり、田中康夫は落選、元自民党衆議院議員の村井が当選。
長野は今までの数年間に歩んできた破壊と再生と言う道のりを、その途中で−つまりは破壊しただけで再生まで至ることなく−放棄してしまったに等しい。
旧態依然とした中央に金を無心し、土建屋にばらまくという「たかり」の構造を繰り返すような知事では、再生する事はできまい。


 田中康夫自体、とても優れた政治家であったとは決して言い難い。
けれども、それ以前のような知事よりは遙かにまともであったとも思う。
一番の大きな違いは、なんとか借金を減らし出来る事ならば自ら立って歩こうとするか、いつまでも返すつもりの無い借金を重ねその場凌ぎと個人的な財源の確保に集約するか、の違いである。
後者の場合、既に「夕張」と言う格好の前例がある。そう、財政再建団体−民間で言えば破産宣告−を受けたあの夕張市だ。
その二の舞となる可能性は非常に高い。


 もちろん、財政に苦しんでいるのは長野だけではなく、「地方」が抱える問題である。
また上述したように、田中康夫が政治家として極めて有能であったか、といえばそうでは無いだろう。
だが、少なくとも自ら立とうと言う意志は感じられた。
それに対し、村井は当選早々、小泉に対し「格段の配慮」を無心している。
自ら立とうと言う意志のない者に、立つ事は出来まい。また、それを住民が望むのであれば、極めて近視眼的であると言わざるを得ない。