水道管断裂

 いや、変な音がしてるとは思っていた。
夜になってTV等を消し静かになると、どうもトイレの裏のあたりから、あたかもずっとシャワーを使っているかのような水が流れる音が聞こえて居たので、どこかで漏れているのかと思って軽く調べたが特にどうとは思えなかったのだ。
しかし、風呂に入ろうとシャワーの元栓を捻ったら、水量は弱々しく。
−いつもと違う。これは直感だが、やばい。
そう感じ取っていたのだ。


 翌朝、すぐに水道局に電話をし、調査をしてもらうよう手配したが、水道局から委託された工事業者が訪れたのは夕方過ぎであった。
その間、既に水道の元栓を閉めて我が家の異変であること、そして上水道の異変である事には気が付いて居たが、どこがどうなってるかは皆目見当が付かない。
だからこそ早くに呼んだにも拘わらずやってくるのは夕方過ぎというのは、緊迫感の無さか、はたまたそこまで心配するほどの事ではないと言う事か。
ともあれ、調査をしてもらう。


 床板をこじ開けたり、場所によっては電鋸で切り開いたりなどして床下を見ると。
そこは既に水たまりとなっており、夜通し吹き出していた水の量を物語る。
俺たちがその様子に眉をひそめている最中、切り開けた床の穴に猫がダイブして暫く戻ってこないと言うアクシデント−猫は人の邪魔をするのが仕事だから、アクシデントでは無いのかもしれないが−を挟みつつ、その破断した水道管の場所を業者は目安をつけようとしているが、今日は遅いからやめると言う事になった。
時間は夜6時を過ぎたところ。何のために早くに呼んだのか分からなくなる。
まあ、翌日は朝から工事と言うことだから、今日は色々と我慢しなくては。


 さて、水が使えないとなると色々と不都合が生じる。
常々、その有難みを普通の事として捉えている訳だが、このような事態になると不便さは加速度を付けて襲ってくる。
まずトイレが不便。使うたびに、風呂場に貯めてある水をバケツで持ってきて流さなければならない。
飲料水はペットボトルを買ったから良しとしても、炊事にも水を使う事は出来ないから、レトルトを電子レンジで温めて食べるのみ。
風呂どころか手、顔洗いも出来ないから、俺は弟と一緒に寒い中バイクにまたがりスパへと行かざるを得ない。
まあそれでも、電気、ガスと言った他のライフラインは生きているから、絶望的な迄の不便さは感じずに済んでいる。
しかし、仮にこの状態が数日と続けば様々な所へと波及する深刻な影響も考えられる。
震災などの時にライフラインが途切れ、その不便さを見聞きしたりする事は少なくは無いが、やはり見聞きするのと体験するのとでは大きな隔たりがあることを改めて思い知る。
そして、俺たちが何気なく使っている水の量が、実はものすごい量であることも。


 今まで普通だったことが一夜を境にして普通じゃなくなる、なんて事はあまり無さそうでも実は唐突に訪れるもの。
そして、こういう経験は、何かあった時の為のシミュレーションとして非常に大きな意味を持つと俺は思っているのだが、内心を言えばもう懲り懲り。
「普通の事」を「普通の事」として何の疑いも無く捉え享受する事が出来る事実を、その有難みを忘れる事無く、享受し続けて行きたいものではある。