某大型ショッピングモール抽選会・完結編

 暫く通しで入っていた(と言うよりは指名されたので入れられていた)横浜郊外の某大型ショッピングモールでの抽選会の仕事が終わった。
三日間連続開催、約10日空けてまた三日間、というサイクルを三回繰り返したもので、初回の話は以前書いたので参照して貰いたいが、端的に現せば戦場のごとし、だった。
飯を食うどころか水を飲みに行く暇すらなく、おかげで胃をまた悪くしてしまったのだが、その戦場のごとし有り様をクライアント側も重要視し、大幅な増員をして臨んだ第二回目は、蓋を開けてみればガラガラの寂れっぷり。
クライアント側もスタッフである俺達も、予想が大幅に外れ首を傾げる毎日。
内心戦々恐々としていた俺も、逆に物足りないと思う始末。


 そして先の週末、最終回の三連が始まった。
スタッフの半分は経験者で、業務の流れを把握している事もあって滞りなく進んでいた。
ただ、初日、二日目に訪れた人の数が余りにも予想より少なく、最終日が懸念されたのだが、いよいよその日がやって来た。
二日目を終えた後の俺の予想は、どう低く見積もっても戦争のような有り様になるだろう、と。それはクライアント側もほぼ同じであった。
その予想を受けてスタッフ人員は過去最大級の15人を投入された。まあこれだけ居れば余裕などと思っていたが、実際に午後12時の開始と同時に忙しさのピークをいきなり迎えた。初日ほどの惨状ではないものの、昨日までのあまり人が来ない状況を普通だと思っていた他のスタッフは戦争状態。
油断すると列が伸び、お渡しする景品の補充や人の整理にも気が回らないで混乱を来している。
既に並んでいるお客さんと景品を貰うお客さん、そして並ぼうとしないお客さんと入り乱れ、次第に怒気のようなものも伝わってくる。
それらをフォローする俺の頭の中にも次第に「地獄の黙示録」のテーマが流れ始める。


 薄々気がついていたが、こういう状態になると各人の仕事に対するスタンスや能力の一端が浮き彫りになる。
全く初めての人で、右往左往しながらも必死に声を出し笑顔で対応しようとする人。
自分だけでなく周りも視野に入れて、俺やディレクターが指示を出す前に動いてくれる人。
かたや、自らは全く動こうとしない人や連日話した事を全く聞いていなかった人。
中でも印象に残った人の事を話そう。
彼女は最終期間初日に初めて見た時に、その容貌の整った様、きちんとされた化粧に思わず綺麗な子だなと呟いた程だった。
しかし、時間が経つほど馬脚を現した。
接客であるのに笑顔はなく、疲れた、休憩時間が短いと文句ばかり。(断っておくが休憩時間は所定のそれを満たしている。)
最低限の言葉遣いは教えたが、それをすっかり忘れ去ってしまっている。
他者に対する配慮にも欠け、結果としてそう言った諸々は形に残る。
彼女はその容貌もあって今まで甘やかされて来たのだろうか。少なくとも他の、今年大学に入ったばかりだという人よりも幼く見えた。
その意味もあって、俺は彼女の顔を整っているとは思ったが美しいと思うことは無かった。


 そして俺は、自身が単に容貌ばかり麗しいような女に興味が無い事を知った。
他の男なら、その顔の整った様にほだされて甘い顔をしてしまうかも知れないが、少なくとも俺は違った様だ。
実際、少し手が空いた時などに「休憩の時に食べて」と飴など甘いものを分けたり、必死に声を出して喉が辛そうな人には「お客さんは俺が対応しておくから、喉潤しや」と言ったり、また足が辛そうだったりしたらツボの場所を教えてあげたりとしたが、その彼女に対しては何一つ、気を掛ける事は無かった。
俺に与えられた権限など僅かなものだが、しかしその中で出来るだけの配慮は共に働く者として、そして彼ら彼女らを束ねるリーダーとしてしてあげたい。
一方で、(経験の浅さ、或いはそれから来る無知は除いて)怠惰、愚鈍であるものに対しては「動こうとしている人たち」よりかは遙かに配慮する割合は少なかった。
まあ本当は、リーダー的役割を持つ人間は人を区別差別してはならんのだろうけどさ。


 俺は、過去のいくつかの挫折の経験もあって「頑張ったってダメ」という思いがどこか胸の中にある。
どうせ報われる事なんかないさ、と。
俺が頑張るのは他者に見せつける為ではなく、強いて言えば自己満足の延長みたいなもので、報われようと報われまいと為す事を為す。それが仕事と言うものだろう、と思っているからだ。
しかし、逆に考えれば、どこかで頑張ってる事を見ている人は居る。俺自身が頑張ってる人を見て評価しているように。
俺が、その頑張りに対し報いる事が出来るものはたかが知れているのが残念ではあるが。


 この仕事で正直な所を言えば、休憩の回し方にしてもお客さんが少ない時に集中的に行かせ、状況を見つつ流動的に取らせたりなどしたかった。
自分がもっと上の立場なら、と様々な点で思う事も多々あった。
しかし、大変ではあったけれど本当に楽しかったと思う。例えて言えば、学園祭の準備をし、そして開催し終えた後に残る充実感、連帯感。
俺は学校というものを出てもう暫く経つけれど、あれを思い出したよ。
無論、仕事だから手を抜いたり巫山戯たりなどはしないし、にも関わらずお客さんから的はずれの嫌な言葉を浴びせられもした。
けれど、特等(付記しておくが、開催期間中ほぼ全日程で、俺の担当する台から特等を出した。「出た」のでは無く「出した」のだ。理由は声が通る上にでかい、盛り上げ方を或る程度知っている、言葉遣い、礼儀を一通り身につけていると言うもの)を引いたお客さんが驚き喜ぶ顔を見たり、或いは参加賞だけでも嬉しそうに貰っていく子供達を見ると、こちらも例えではなく本当に嬉しい、楽しい思いをさせて貰える。
そう言う思いを共有する事が出来る仕事というのは、やはり「甲斐」を感じるし、多少の無理もしてしまう。
俺はボランティアをする趣味はないので、無償でと言う事は限られた特定の人たち以外しないけれど、でもやはり、俺の根幹にあるのは「あなたの幸せは俺の幸せ」だと言うものなのだ、と認識した。
そういう仕事、時給5千円くらいでどこか無いかしらん。


追記:改めて読み返すと恰も俺が有能そうに書いているのが鼻につく。実際は単なる面倒くさい病患者ですからお間違いなく。