消え行く横濱らしさ−帝蚕倉庫解体と再開発


 −また一つ、横濱らしさを喪っていく。
横浜中区の海に近いところに佇む、昔ながらの建物がまた取り壊されることになった。
ソースはこちら>>http://mytown.asahi.com/kanagawa/news.php?k_id=15000000801160002
記事を以下に引用させていただく。

横浜港の生糸貿易の歴史を伝える横浜市中区北仲通北地区の倉庫群のうち、旧帝蚕(ていさん)倉庫2棟と旧帝蚕ビルディングが、近く取り壊されることになった。超高層ビルなどを建てる再開発計画の一環。倉庫1棟と事務所は残されるが、倉庫群としての景観は失われる。


  市都市デザイン室などによると、旧帝蚕倉庫は1926(大正15)年建築。生糸専門の倉庫として、柱は赤れんが、壁はモルタル塗りで統一。旧帝蚕ビルディングは28(昭和3)年の完成で、昭和初期のオフィスビルの典型という。


  当時の姿で残るのは、旧帝蚕倉庫3棟と倉庫事務所、帝蚕ビルディングの計5棟。森ビルなどの地権者6社と横浜市が、建物を残しながらの再開発を模索していた。


  06年12月にまとめた計画では、ホテルや商業施設が入る複合施設を造る。倉庫2棟と帝蚕ビルディングは取り壊し、別の倉庫1棟と事務所を保存し利用する。工事費は地権者の負担で1月中にも着工予定。跡地に建てられるビルの低層部には、解体した倉庫のれんがを活用する。


  同室は「現在の姿を残せないのは残念だが、一部を活用することで新しい命を吹き込めれば」と話している。

 あくまでも俺は、という主観での話になるが、中区の海っぺたの古い建物が建ち並ぶ辺りは、未だ尚「港町横濱」という風情を残していて好きなところである。
今は商業施設として賑わいを見せている「赤煉瓦倉庫」や、この記事にある「帝蚕倉庫」の辺りなども当にそうだ。
煉瓦造りの重厚感のある建物で、そこが貿易の要であったと窺わせる碑であった。
他にも、所以は分からないが昭和前期以前に建てられたであろう建物などもまだ幾つか点在している。


 ところが、この建物を取り壊し高層の商業施設とするという。
昨今の再開発ブームで、各地で古い建物を壊し、小綺麗なマンションや商業施設を建築しているけれど、果たしてそれは本当に利となるものなのだろうか。
どこを見ても似たような、変に近代的なデザインのマンションが建ち並ぶが、それが満室御礼となっているかは疑わしい。
実際、横浜市の債務は桜木町みなとみらい地区開発に絡むものが大きな割合を占めていたのだが、その赤字をなかなか減らすことが出来ないのは大金をかけて開発はしたけれど、企業も住人もやってこない、という現実が10年以上に渡って続いていることも大きいのだ。


 「金をかけるだけでは作り上げられない、歴史を刻んだ建物」を「金をかけて壊し新しい筺を作る」だけならまだいい。
挙げ句、「新しい廃墟を作る」ことになりかねない。
無論、地理的条件などから鑑みてもあの土地が、千葉や埼玉の「新興ニュータウン跡地」のような「新しい廃墟」となるとは言い難い。
けれども、すぐ近くにも似たような、新しい筺がたくさん立ち並ぶ中で敢えて、古い建物を壊して負けじと新しい筺を作るなんて事はしなくて良いんじゃないか、と思うのだ。


 先程も述べたが、横浜の臨港地区にある古い建物は「横浜らしさ」を匂わせ、そのイメージ造りにも一役買うものである。
だとするならば、それらを生かして行く方が他との差別化に繋がり、ひいては活性化に繋がるのではないか。
そのモデルとなるのは、滋賀県長浜の「黒壁スクエア」である。
ここは昔ながらの佇まいを売りにした複合商業施設群であるが、その発端となったのは、一件の古い銀行の解体話だったのだ。
この銀行の保存から発展し、寂れた田舎町は今や地域再生のシンボルとまで言われるようになった。


 同じ事をしても意味はない。
しかし、言わば「熟成された資産」と言えるものを敢えて壊してしまうのは余りに勿体ない。
例えば、あの一体を赤煉瓦倉庫などに連なる「レトロ感溢れるけどお洒落な町」、として開発する事だって可能なはずなのだ。
馬鹿の一つ覚えのように近代化する事だけが能じゃない。
見た目が古くても中身はハイテク、とする方がまだ洒落ている。
古い建物が壊されるのを目の当たりにする毎に、俺はそう思うのだ。