俺涙目#3 チベットのいきさつを知る


 こないだの長野での聖火リレーのひどさから、色々ネットとかで情報収集してた。
いわゆる「チベット問題」も、恥ずかしながら俺はその概要を良くは知らなんだ。
「まあどうせ中国が権益主張して勝手に侵略したんだろ」位にしか思っていなかった。
しかし、色々と調べるにつれ、それが只の侵略ではなく、民族浄化というものに近い悲劇であることを知った。
ポルポトチャウシェスクが行ったような、いや、現在も進行しているという事を鑑みればそれよりも酷い悲劇であることを。
それらを知る程、自然と俺は涙目となった。
もし、俺の敬愛する人たちが話に聞くような惨い仕打ちを受けるとしたら、俺は狂ってしまうかもしれない。
だからこそ彼らは必死に、それこそ号泣しながら訴えていたのだ。



 俺はもともと中国人というのが嫌いなのだけど、総ての中国人を嫌っている訳ではない。
かつて、仕事先で出会った人たち−楽する事ばかり考えてるけど、結果的に大変な仕事を常に引き受けてくれていた軍隊あがりの張さんや、最初は無愛想だったけど、無愛想なりに色々気を遣ってくれていた楊さん。そして今の仕事場にいる睨さん−。
彼らは一人一人では良い人たちなのだがな。
個人では良い人たちが多いだろうと思うけれど、集団となると気が大きくなり衆愚と化す。
まさに長野で見られた中国人達は集団心理に陶酔した衆愚としか言えない。
あの人たちがもし蜂起したら平和ボケした日本なんざ、あっという間に占領下に置かれてしまうんじゃないか、という危機感。


 それにしても、彼らは半ば盲目的に中国政府の「チベット問題は内政の問題」「ダライラマが煽動をした暴動」と言う情報を信じている訳だが、彼らは天安門事件を忘れてしまったのだろうか。
中国軍が、同胞たる国民に銃口を向け、撃鉄を引いた事を。血に塗れた8日間を。
同胞に向けて撃鉄を引く位だから、差別的感情を持っている辺境の民族に対し躊躇いが無い事くらいは想像出来そうなものなのに。
もとより、中国というのは残虐性に秀でた国民性があり、刑罰史を少し囓れば他国と比べてもかなり特殊で類の無い刑罰を数多発案している事を知ることが出来る。
その隠れた残虐性が、暴動の鎮圧、および収容された政治犯たちに向けられていると考えはしないのだろうか。しないんだろうな。
だから人に生きたままの人を食わせるなんて事が出来るんだろうな。


 考えてみれば、中国は文化大革命でとてつもなく大きなものを喪ったのではないか。そして、その大きなものを喪ったまま、ぶくぶくと肥大し、こうしてオリンピックを執り行おうとしている。
恐らくは、ほとんどの種目で中国勢が圧倒することになるだろう。ちょうど、サッカーアジアカップや五輪予選で見せたような手法を用いて。
中国国民が、欺瞞に満ちた大勝に喜び満ち溢れた後に、何が残るだろうか。
他国からの冷笑と疑念、そして孤立化。俺が想像するのはそんなとこだ。
そして何よりも恐るべきは、孤立化した後だ、と言う事だ。
自我を満たす為には方法を選ばない。それが分かってしまっただけに。