徒然と、マスコミや白装束の事を


 どんなニュースや新聞を見ても、必ずと言って良い程に現れる白装束の人たち。
その過剰な迄の報道に最近は嫌気すらも感じる。
俺個人の、悪趣味を代表する趣味として、ああ言うエキセントリックな人や物を、人間観察の側面から冷徹に見てみたり、或いは純粋に変な奴としておもしろがって見るのには好都合ではあるが、それも些か食傷気味だ。


 あの集団は教祖の誇大妄想に導かれる形で形成されている。
真っ当な常識や、知識を持つものから見れば、彼らの云う事は妄言も甚だしい。
しかし、それが彼らには真っ当な「理」である。
俺達が理として居る事が、彼らには理ではなく、故に言葉そのものが恐らく通じない事だろう。
幾ら「ミカエルは王様ではなくて、基督教4大天使の天使長ですが」とツッコミを入れても、馬の耳に念仏だと思う。


 どうやって、信者を獲得してきたのかは分からないが、少なくとも云えるのは、「宗教は金になる」という事だろう。
あの程度の妄言で相応の金が集められるのなら、俺にも出来そうだ。
いや、それともやはり何処かで突き抜けたもの、もっと簡単に言えば「イゥちゃった所」がないと駄目なんだろうか。
逆に言えば、その「イッちゃった所」こそが何処か神懸かり的な印象を与えうるのかも知れない。
鰯の頭も信心から、と云うがそれだけの事をさせられるのは、やはり何処か常識外れでないと駄目なのかも。


 俺は、宗教と云ったものに身を寄せる者は、どこか傷ついたり、或いは弱くなっている人間であると思っている。
それは病気になった時に医者に行ったり、フラれた時に優しくしてもらった人に恋心を抱いたりするのと同じ事。
宗教なんかに心酔するのは弱いからだ、などと論う真似は俺には出来ない。
メディアにしろ、一般の意見にしろ、上記のような「宗教なんかに…」という話をする人は多いが、それは単に自分の事を善く見ていないだけ。
心が弱くなった時に恋人や、友人や、或いはネットでの発言、そういったありとあらゆるものに甘えたり頼ったりしない人間だけがその発言を許される。
そして、そんな事が出来る人間なんてのは極めてごく少数だろう。
にも関わらずそう言った意見が絶えないのは、如何に自分を棚に上げて居る傲慢な者が多いかと言う事でもある。


 最近のマスコミの動きなんてものはその最たるものだろう。
道交法違反を報道する割には、自分たちの車が一般の邪魔になってもどけようとしてないし、何よりも、斯様な妄想癖の強い者を追いつめると被害妄想的になっていき、それが次第に外世界への攻撃性へと変移して行く危険性を考えていない。
どうという事の無い者を追いつめ窮鼠へと仕立て上げ、終いには噛み付かれたと騒ぎ出したりする。
マスコミは如何にも白装束の集団を狂人として映しているが、マスコミだって狂人みたいなものだ。其れを見てヘラヘラ笑ってる俺達もまた、狂人の如し。
狂人が、狂人の報道する狂人を見て薄ら笑いを浮かべたり、恐れを抱いたりするこの滑稽さ。
そしてそれに対して疑問を呈する者が少ないと言うこの滑稽さ。


 俺は別に、この宗教集団を擁護している訳ではない。正直どうでもいいのだ。
ただ、無関心かと云えばそう言う訳ではない。取るに足らないと言うだけの話。
無関心こそが人間を堕落させる。
こうして、一つの物事に集中して目が行っているその裏で、反比例の様に無関心になってしまっている問題が多々ある。
イラクでの戦後復興や北朝鮮の問題にしてもそうだし、俺達が考えなければならない問題が無関心になっている一面がある。
俺達は狂人が煽る狂人の事なんかよりも、もっと考えるべき、注視すべき事がある。
それだけは、俺は声を大にして云っておきたい。


追記:「タマちゃんを思う会」ってあるじゃないすか。ホタテ投げてる人たち。
俺も似たような集団作りたいんすよ。「タマちゃんを思う会を愛する会」。
あの集団を見つけたら愛情表現として蹴り入れたりするの。俺、Sだしさ。
で、それを報道してくれるマスコミにも愛情表現として石投げたりするの。
愛の形は様々だし。みんな、「愛」って云うと納得するじゃん?
どうよ?メンバーにならねえ?今なら参加費用安くしとくよ。
あ、「投げ込まれるホタテを哀れむ会」でもいいなー。