ルサンチマン的な、或いは単なる文句ばかりの一日

Wacrema2003-05-14



 ルサンチマン
哲学者ニーチェが言い出したこの言葉は屡々、怨恨や怨み、嫉妬、或いは「コンプレックスから来る怨念」などとも訳される、「弱者が強者に対して持つ怨恨の情」だということになっている。
分かりやすく言えば鬱屈とした逆恨みとか、逆切れと云う様なものだろうか。
ここで云う弱者とは、現実の状態から眼を反らし、それを認めまいとして否定的、反動的なアクションをとる者の事であり、強者とは現実をそのまま受け入れ、これを肯定する者である。
人間、誰しもが多かれ少なかれこう云った感情を持つが、それが強くなると「こうなったのは社会のせいだ」などと責任転嫁し憎悪を抱く。
所謂、カルトと呼ばれる宗教団体に帰属する人たちにも多く見受けられる。今だったらほれ、あの白いのとか。


 今日、電車に乗ってスロを打つ為に街に出ようとした時から、俺のルサンチマンは始まる。
電車の中で、雑誌を読もうとバッグに手を入れようとした時に気が付いたのだが、指輪をしている指が鬱血していた。
俺の指輪は幅広で、密着すると普通のリングより取りずらくなる。
紫色になるまで鬱血していた訳ではないが、時間が経てばそうなる可能性もある。やばい。
駅のトイレで石鹸水を使ってとる事も考えたが、少なくとも数駅はトイレが無い事を思い出した。否、トイレ自体はあるが洗面台が質素だった。それに、外した時に勢い余って飛んでいく事もありえる。なるべく綺麗な所が善い。
確実なのはこのままスロ屋まで行く事。あそこなら確実にある。


 しかし、どうして急に指がむくんだのだろう、と目的の駅までやや焦りと苛つきを感じながら考えて居たら、徐にすぐ傍に立っていた日本人ではないアジア人、中国人か、韓国人かが大声で携帯を使い始めた。
その無遠慮な声のデカさに苛立ち、攻撃的な衝動が生じる。
喉元まで出掛けた侮蔑の言葉を飲み込み、ああ、俺は苛付いているから攻撃的なんだなあと思う。
確かにその人はマナー違反ではあるが、その事と俺の焦りとは無関係だ。
単に、指輪が外れないと言う「思い通りにならない事柄」を他人にすりかえるのも見苦しい。
でもやっぱりやかましいので、じろり、と一瞥だけしておく。


 駅に着き、大急ぎでスロ屋のトイレで指輪を外す。難儀はしたものの取る事が出来て一安心。
さ、新台も入ってるし気合い入れて行こう。
新しい故データも無い台を色々と検証しながら打ち始めたものの。
なかなか大当たりを引く事が出来ずに居た所、隣におばさん着席。普通なら女性などと書くが敢えて。


 このおばさん、座って千円で大当たり確定、と出たものの揃えられない。
幾らボタンを強く叩こうと、回しっぱなしにしようと狙わなきゃ揃う筈ないじゃないか。
確定の文字が出てから3千円ものコインを買い、終いには捨てられた子犬の様な目で俺を見る。
揃えて欲しいならそう頼めばまだ別だが、同情心を誘うような目で見られても却って癪に障るだけ。
ぶつくさ愚痴を言っていたので言葉が話せない訳でもない。
通りかかった店員が「7」を揃え大当たりが始まった頃に、俺も漸く当たる。
ここでまた気が付く。ああ、俺は自分が当たらないから苛立ちを覚えていたのだな。
普段なら人は人、と思うのだが今日は既に苛立って居たし。善くないな。
そんな事を考えながら大当たりを消化し、通常ゲームに戻る。


 スロとかってのは期待感を煽る為に様々な演出がある。機種によっては大当たりの直後がチャンスだったりもするから、大当たりの直後の頻度は飛躍的に上がる。
打ちながらそのパターンを検証していたのだが、おばさん俺の台に演出が来る度に覗き込む。
横目でちら、と云う感じでは無い。手を止め、顔を45°俺の台に向けてしっかりと。
あまりに鬱陶しいからこちらも顔を見返してやったが気付かれず。一所懸命すぎ。
俺も諦めて、演出が起きたらすぐキャンセルを繰り返し、手持ちのコインも無くなったので移動する事にした。


 で、別の台に移ったら。
程なくして隣に口をAlways半開きの、まるで酸欠状態になった金魚のような小僧が座る。
悪ぶってるのか、純粋に公衆道徳を知らんのか、椅子に座りつつ片膝を立てボタンを強打。
そしてやっぱり、演出が起きると覗き込んで来る。もー!
俺も腹が立って液晶の所に千円札を静電気で貼り付ける。彼は見られぬが俺も見られぬ諸刃の剣。
それでも、音は出るしある程度なら何とかなるので打ち続けて居たら、大当たりが連チャンしてくれて何とか+−ゼロのラインにまで戻す事が出来た。
ウザい小僧のボタンを押す強さも比例して強くなったのだが。


 彼もやはり、俺に対しての嫉妬と、それから俺に対する軽視によって苛立ちを覚えていたのだろう。
そして、俺自身同じ事を考えて居た。
どうしても、嫉妬や羨望、蔑視などと言ったものは生じる。人によって、その度合いの大小はあるけれど、皆無と言う人は珍しいだろう。
こうした感情が人の心に波を立てるのであれば、なるべく抱きたくは無い。
その為には結局、現実を受け入れニーチェの云う強者へとならなければならない。
パチスロ如きでこの有様だ。先はまだ、遠いな。


 帰りしなに買い物をしたら合計777円だった。
特にどうと云う訳でもないのだけど、ちょっとだけ嬉しくなった。
俺も、単純だよな。