悪夢を見た事と夢判断


 悪夢を見てうなされた。
俺は一度寝入るとそれこそ地震があろうとグースカ寝るタイプ故、夢を見る事も珍しいのだが、悪夢を見て起きてしまった。
シーツは寝汗で濡れ、心臓は早鐘を打っていた。


 あれは夕方、それも恐らく夏の夕方だっただろう。
俺は何故か生首を手に下げていた。髪が短かったから多分それは男のもので、右手にずっしりと、まるで西瓜を下げているような感覚があった。
こんなダイレクトに生首下げて居たんじゃすぐにばれてしまう、と戦々恐々としながら何処かに隠そうとしていた。


 埋めるにしても、要領よくしないとならないし、と考えていたら通行人が「あの人首下げてる!」と俺の方を指差して叫んだ。
その、隣にいた連れの人物が、「莫迦だな、生首下げて歩いて居る奴なんているかよ。見間違いだ」と云ったのを聞き逃さず、「これですか?西瓜ですよ」と辺りが暗いのを良い事に上手く誤魔化してその場を去った。


 露見するのを恐れていると言う事は、俺は誰かを殺してしまったのだな、と夢の中の自分が分析していたが、誰を殺したのか、何故殺したと言う肝心な部分には言及していなかった。
何故俺は首だけを持って走ってるのか、死体はどうしたんだ、と言う事に疑問を抱いて置き乍らも。
ただ、一つ言える事は俺は何かを恐れていた。ま、誰かを殺したのだったら露見する事をいやがるのは当然ではあるだろうが。


 そうこうする内に、道をパトカーがパトライトを廻らせて走るのを見た。
直感で、ああ、さっきの人が呼んだんだろうな、と思い、パトカーと逆の方向に、路地を抜けて走るも、路地の先に警邏中の警察官が居るのを発見し、わざと歩いて警察官の死角になるように首を持ち替え、横を通り過ぎた。
上手くやり過ごす事に成功し、そのまま角を曲がってから再び全力疾走を始めた。
どうしたもんかな、と大きな焦りを感じつつ。
そこで、夢から覚めた。


 フロイト曰く、夢は無意識の願望であるという。(もっと厳密に言えば、夢は、とある抑圧され、或いは排斥された願望の充足である。) 
そして、それは象徴となるものに代替されて表現される。
尤も、フロイト的判断をすると大概が性的な事に結びつくので易々と首を縦に振る事も出来ないのだが。
そう言った意味ではユング的判断の方が若干参考にはなる。


 俺が見た夢の象徴するものとは何だろうか。俺の見た夢が表す願望とは何だろうか。
少なくとも、俺は首を持って逃走したいなんて願望は持ってないし。
つうかそんな願望持ってる奴はちょっと厭だ。


 夢判断ではその対象となるものが所謂「暗喩」として分析される。
つまり、意味が隠されたものとして分析されるのだが、それはひょっとしたら個人によって千差万別であって、一概に言い表せないと思った。
その象徴されると云う物に対する個人的なイメージには当然差異があるし、また、例えば警察官などのほぼ万人に共通するようなイメージ(この場合は法律とか、そう言う象徴)だって、今度はその法に対する個人的な捉え方で結果は変わる。


 もっと詳しく例を挙げれば、荷車の夢は苦痛に満ちたセックス、あるいはルーチンワークになっているセックスなどを表すのだが、そもそも現在、荷車の事を詳しく知っている人など結構珍しいだろうし、また、その登場の仕方でも解釈が変わってくるだろう。
自分が荷車を厭々引いているのか、それとも牧歌的な光景の中で、荷車の上で煙草を吸って揺られているか、とか。
俺は、オカルト的な夢占いの類はあまり信じていない。(但し良い事だったら取り入れる)
だが、フロイトユング以降の夢と精神分析を結びつけた様なものも、それらを絶対視して考える事は逆に危険であるだろう。そもそも、フロイトユングだけで見ても結果は違う。


 確かに、夢は無意識の願望を表す一面がある。
だがその一方で記憶のデフラグと言った意味もあるし、寝る前や寝た後に体験した事や思った事が反映される事もある。
トイレに行きたいと思う夢など将にその象徴。
夢判断では「忘却したい物の象徴」だったり、或いは性欲、金銭と云ったものに関するとされているが、はっと目が覚めてトイレに行く様な事は誰でも覚えがあるだろう。
何れにしても、一つの事柄を総て正しいと思い盲信するのは危険だ、と言う事だ。
まして、所詮は夢の話。


追記:此方のサイトが自分で夢判断するには参考にななります。
ですが、先述したようにくれぐれも総て信じ込まないように。尻とかぼりぼり掻きながら「ふーん」てする程度で。
悪い結果が出たからと云っても、それは単なる一つの見方にしか過ぎません。
逆に言えば、別の見方をすれば良い結果となる事だって在り得るのです。そこんとこヨロシク。