「下品さ」と青森県知事の辞職


 青森県知事が女性問題をきっかけにして辞職する事となった。
しかし、この問題はもともと、週刊新潮が報じたセクハラ&不倫疑惑に端を発するのだが、相手となる女性は一貫してセクハラを否定、知事に辞める必要の無い旨を伝えていた。ソースこれ。



 報道する新潮も新潮だ。つうかオヤジ系週刊誌の品の無さったら。
ちょっと脱線して噛み付いておくが、書店やコンビニ、或いは電車の中吊り広告で見かけるこういったオヤジ系週刊誌の記事の見出しは、大抵が下世話で下品で。
今更そんなもの見て照れるキャラでは無いが、こういうの見てると恥ずかしさを通り越して人格疑われそうで。
にも関わらずこうして出版され続けていると言うのは、需要が在り、そして書く者が多いと言う事だ。
言い換えれば、如何に下品なものを好む者が多いかと言う事を表す。



 こんな雑誌の記事によって知事の職を追われる訳だ。
少なくとも、セクハラのように他者に一方的に迷惑を掛けたとか、立場を利用しての汚職であるとかだったら別だが、不倫程度で大騒ぎ。
こんなの、個人間の問題なんだから放っとけっての。他人がどうこう言える事じゃないじゃん。
どうも、政治家というものに対して(と云うよりは先生とつく偉いと云われる人達に対して)人々は変に潔癖で在るべきだという幻想と願望を抱くようだ。



 先程述べたように、オヤジ系雑誌の殆どは下品である。それは逆に言えば読者の品性をそのまま表す。
下品な記事を鼻の下を伸ばして読むような者が、殊、センセイに対しては潔癖さを要求する矛盾。
そして、こういう人たちは決まってこういう台詞を口にする。
「期待を裏切られた」「そんな人だとは思わなかった」と。
選挙で選んだのは自分。
勝手に幻想を抱いたのも自分。
それを棚上げして人の所為にする厚かましさ。
そしてそれを利用して権力を手に入れようとする者の図々しさ。



 車のハンドルには「遊び」と云われる若干の余裕がある。
もしそれが無かったら、ちょこっとハンドルを切るだけで車は走行中のバランスを失いあさっての方へと向いてしまうのだ。
低速走行時ならまだ良いが、それが高速走行時だったら大変な事になる。
それに第一、運転中に強いられる緊張は比較にならないだろう。否、それどころか運転に支障を来す筈だ。
同様に、人間同士でも同じ事が言えるのでは無いか。
勿論、他者を蹂躙する犯罪の類に関しては厳しくしなくてはならない。否、そう言った犯罪に対してさえも、情状酌量する余地を持つ必要がある。況や、普通の生活をや。
自分たちの事を棚に上げて他者を論(あげつら)う様な真似は決して美しくは無いだろう。
それよりも、状況によって許す、と考える事の重要さ。
自分の事を顧みれば、それも難しい話ではないだろう。



 俺は決して、お上品な類ではない。
折あらば乳揉みてーとか尻撫でてーとかセックスしてーとか考える訳だし、♪モテたいっすね〜とか歌う訳だし。
本来、オヤジ系雑誌の下品さを嘲笑出来る柄ですらないだろう。
だが、己の下品さを棚に上げ他者を論うような偽善者でありたくはないし、腐臭を放ち続ける真夏のヘドロの様にいつも下品さを垂れ流す真似もしたくはない。
だからこそ、この話はおかしいと思うのだ。
他に、祭り上げる事は多々ある筈だろうに。