医師によるドクハラと或る夏の日の父親の死


 夜、ニュース番組を見ていたら、ドクハラの事を特集していた。
ドクハラ、と言うのは正しくはドクターハラスメントと呼び、土屋繁裕さんと言う現職の医師によって提唱された概念である。
これは医者から受ける言葉や態度の暴力の事で、無意識の些細な一言から確信犯的なものまであるが、この言葉を聞くと、俺は数年前の或る夏の日の事を思い出す。



 そう、あれは俺が大学一年の夏の事だった。
俺の父親が激しい腹痛を訴え、それでも救急車を呼ばずにタクシーで病院に向かった所、どうも肝臓を患っていると診断された。
翌日の詳しい検査で、母親だけ呼び出され、只の肝炎などではなく影が映り込んでいると云われたそうだ。
則ち、癌を発症していたのである。余命は詳しくは分からないが、1年以内と診断された。
その病院ではきちんとした措置を行えない為に、横浜市大付属病院に紹介状を書いて貰い、すぐ転院する措置を執った。



 所が。
横浜市大病院の外科の方からは、「すぐ死ぬような患者を入院させる程暇じゃない」と云われ、代わりに「内科ならまだ何か出来るかも知れない」と、内科に行くように措置をされた。
俺が大学の前期試験を終えすぐ横浜に戻ったのはその時だ。
当初は、大部屋で他の患者さんと共に治療を受けて居たが、程なくして個人部屋に移る事になった。
癌は年齢が若い程進行が早い。若ければそれだけ、細胞の動きが活発であるからだ。
個人部屋に移ったのはそれが大きな理由だろう。そして、後に然程時間を置かず、ICU(集中治療室)へと移る事になったのだが。



 担当になった医師は主に二人だった。
恐らく30代前半の若い先生と、それから内科のナンバー2と思しき「田中」という名のセンセイだった。ボスである教授は一度も姿を見せはしなかった。
ある日の検査の時だった。
見舞いと世話と称して病室で本を読んでいた所、センセイ方が「検査をするから部屋から出るように」と仰せられた。
俺が部屋から出るのとすれ違いに看護婦達と、それから資料の様なものを手にしたまだ若い、研修医か、さもなくば医学部の学生達の白衣の集団10人以上入って行った。
まだ様々な事に無知だった俺も、幾らここが医学部付属でしょうがないと云っても、父親が見せ物になっているような感じを抱き、無性にムカついた覚えがある。
あの時はまだ、メンソールの煙草を喫っていたが、矢継ぎ早に喫ったものだから口の中がやけにスースーとした感触が今でも残っている。



 父親は若い頃の輸血で移されたC型肝炎−そう、今話題になっている血液製剤によるC型肝炎の発症と、肝硬変を併発していた。
肝臓は主に胆汁の分泌や解毒、栄養素の合成・分解・貯蔵等を行っている。
肝機能障害が起こると、例えば食べ物の消化で発生するアンモニア尿素に変えて無毒化し体外へ排出する、等の解毒作用が滞ってしまう。アンモニアは無毒化されずに血液に入ると色々と厄介な事を引き起こすのだ。
父親も肝機能障害を起こし、アンモニアが血液に入り込み、それが脳に行って意識混濁などを引き起こした。
唐突に、意識を朦朧とさせながら、恰も初めて見るもののような目で俺を見、アメリカの会社の様子を聞いた。
今から考えるとこれも癪に障る話なのだが−だって、息子の顔を忘れても仕事の事は覚えて居たのだから−、その尋常為らざる様子に俺はすぐナースコールをし、母親を残し俺と弟は病室の外へと出た。



 喫煙コーナーで煙草を喫いながらパックの珈琲を飲んで気持ちを落ち着かせ、ICUの前に戻ると母親も外に出ていた。
暫く経った後にICUからどやどやと白衣の集団が出て来た。
何やら若い医師が田中というセンセイに訊いていたようだったが、その田中と云うセンセイはものの例えではなく、本当に薄ら笑いを浮かべ口元を軽く歪ませながら手を横に、まるで蠅でも払うかのような手つきで振っていた。
若い医師の真剣さと、センセイの対照的な姿がまるでどこか戯曲じみたような印象さえあったが、まさかあの局面で診察した数秒後に冗談を言い笑う所でもあるまい。
恐らく、若い医師は容態と今後の見通しを訊き、そしてセンセイは「駄目だ、ありゃ死ぬわ」と云った様なニュアンスを答えて居たのだろう。
薄ら笑いを浮かべ乍ら。



 それから10日もしない或る日、父親は血を吐いた。いつの間にか出来ていた静脈瘤が破裂したのだ。
良くテレビドラマなどで見られるような咳き込む感じでは無く、嘔吐するような感じだった。水中で息を吐くとゴボ、と言う音がするが、それに似ているかも知れない。
医師を待つ間、手元にあった洗面器いっぱいに血を吐き、シーツや布団は零れた血で塗れ、俺の手も染まった。血を吐くと同時に父親は意識を失った様だった。
駆けつけた医師達と交代して外で待機していたが、徐に中に入る様に指示された。
あの時どれくらい待っていたか分からない。本当に時間の感覚が分からなかったのだが、入れと云われた時に脇の下を冷たいものが走り、心臓を捕まれた感じがした。そんな事は今まで経験した事がなかった。



 中では電気ショックと手による心臓マッサージが行われており、只、それだけが心臓を動かしている手段だった。
既に、心臓マッサージの所為で肋骨が一本折れた、と聞いた。
俺達が入った後も暫く心臓マッサージが続けられたが、俺の一存で、心臓マッサージを停止する様にセンセイ達に要請した。
これ以上のマッサージは更なる肋骨の破損など、身体にダメージしか与えかねず、マッサージだけで心臓が動いて居るような状態は最早、これ以上為す術が無いと察したからだ。
家族の人がそう云うなら、と云う感じで医師達が手を止めると、心電図が描く山が少しずつ小さくなり、やがて一本の直線になった。
刹那、家族や若い医師、看護婦達が声を上げ名を呼び、涙を流し始めた。最初に病院に行ってから、2ヶ月も経って居なかった。



 あの時、俺は妙に冷静で、ああ、本当にドラマで見る様に心電図がピーってなるんだ、とか、人は死ぬと足元の高みから己の姿を見下ろすらしい、と言う事を思い出し一人で天井をきょろきょろと眺めたりなどしていたのだが、その時、医療スタッフ達が首を垂れうなだれたり涙しているのと裏腹に、一人、まるで検診を終えたかのように病室から出て行く一人の医師を見た。
本当に、只淡々と、怒りも哀しみもなく目の前の事を見ていた。
ちょっとした後、様々な感情が津波の様に襲って来たのだったが、それは俺の愚鈍さを意味していたのだろう。



 文中で何度も書いている様に、若い先生や看護婦達はそれこそ俺以上に、患者である親に対して親身に、真剣に取り組んでくれていた。
だから総ての医師が傲慢だとか、そう言う事は言えない。それは彼ら、彼女らに失礼だ。
それに、ドクハラという一言だけで医師を糾弾も出来ない。
確かに無意識な発言にこそ、その者の本音が現れ、そしてプロであるのならばそうした不用意な発言をしてはならない。
それは罪ですらあるだろう。無意識、無自覚であるが故の罪。
しかし、同時に被害妄想的になっている者が声高に叫ぶ事もまた考えられる。
だからこそ、そうした事は客観的な、第三者の目で見てみないと分からない。



 ドクハラに対して思う事や云いたい事は山程ある。今日は長いから流石に書かないけど。
だが、それを記す前に、俺がどうしてそう思うに至ったのか、そしてどうして西洋医学に不信感を抱いているのか、それを記しておこうと思った。
そして、敢えて名前も伏せずに書いた。
これは特定医師の誹謗中傷の類ではないし、また徒に横浜市大病院の名誉を汚そうとするからでもない。
そんな事をして得られるメリットは俺には無い。唯、俺が体験した事をありのままに書いただけに過ぎない。
もしこの文章が不名誉だとか、名誉毀損にあたるのなら、それは現実が不名誉なだけだろう。
自分で自分の名誉を貶めているだけだろう。
他者を責める前に先ず己を省みろ、とだけ云って俺はキーボードから手を離す。


ああ、そう言えばもうそろそろ、前期試験の時期に差し掛かるんだな…。