女子高生にモンキーと歌われて

 ♪モンキーで、モンキーで、モンキーで。
 モンキーマジックモンキーマジック
ゴダイゴの名曲に載せながらコニャニャチワ、Wacremaです。


 今日、ぽてぽてと紅いブーツの底を引きずり歩いていたら、前から二人組の女子高生が歩いてきた。
距離が在る程度縮まった所で彼女らは徐に、大きな声で歌い出した。
「♪さーるが来ーた、さーるが来ーた」と。


 煩いガキだ、と不快感を露わにしながら横を通り過ぎる時に、俺の方を窺うようにちら、と、下目でわざわざ俺のツラを確認し、そして後ろで大声で笑っていた。
そうか、俺に聞こえるように歌っていたのか。
その道を通っていたのは当時、俺と彼女らだけであったから、ほぼ間違いないだろう。


 え、って言う事は俺、猿って言われたの?
ちょっとしてから後ろを振り返ったら、彼女らもこちらを注視しており、そしてゲラゲラを笑いながら去っていった。
この不躾なBitchが、成敗して呉れるわと、危うく追いかけて行って飯綱落としの一つでも食らわしてやる所であった。
そんな事をしたら俺が100%悪い立場に立たされる。
怒りを飲み込んで、代わりに煙草に火を付ける。


 俺、猿顔だったのか。まあ、猿から進化した成れの果てだから名残は当然あるのだろうが。
でも、そんな猿顔じゃないと思うんだけど。髪型の所為かしらん。
と、鏡を見て不安になる。


 しっかし、改めて無礼だよなあ。
若いってのはそう言う事なのかしら、でもそれは特権では無いよな。
一時期、「女子高生」という事だけで商品価値となり、大人の男がたかって居た事があった。
その流れを今でも受け継いでいるのが援助交際とか出会い系であるのだろう。
若いと言うだけで妙にありがたがったりチヤホヤしたりする傾向もあるけれど、それってどこかおかしくねえ?
つうか、単なる尻の青いガキに何故いい歳した者が媚び売るんだろうか。
謙虚さがあればまだ別だが、往々にして若さはその謙虚さと無縁であったりもする。


 いや、若さはまた別の理由だろうか。
年齢以前に、謙虚さを持っていたり、無礼不躾であると言う個人の本質がある。
いい歳をして尚、無礼者は多いし、逆に若いが謙虚で礼儀を弁えた者も居る事だろう。
そう言った意味からすれば、「無礼な女子高生」というカテゴライズをするのではなく、「無礼な尻の青い女」とするべきなのかも知れない。
カテゴライズするその枠を徒に大きくしてしまう事は、何でも十把一絡げにしてしまう危険を孕み、安易なステロタイプにハマり込む事も意味をする。
それは、人によってはとても失礼な事だと思われるだろう。


 メディアによって知らず知らずに刷り込まれたイメージというのは結構大きなもので。
その与えられたイメージを、俺達は何時しか規範とさえしている側面がある。
女子高生はこういうもの、とか、そんな感じで。
だが、それは必ずしも絶対ではない訳だし、例えば「女子高生=莫迦」というイメージが出来上がっていたとしても、そうでは無い人も大勢居る。その、そうではない人たちに対して莫迦と一緒にするのは失礼な話だろう。


 ゲラゲラ笑う声がまだ響く路地を歩きながら、あの女子高生め、と言いかけて、あの蒙古斑Bitchめ、今度同じ事をしたらせめて、眼鏡外して一睨み位はしてやる。俺は眼鏡を外すと兎角、目つきが悪くおっかないらしいからなあ、等と思っていた。
ま、あんまり怒るのも癪だし、精神衛生上良くないしな。
でも俺、猿に似てるのかしら。似てないよなあ…。


追記 本当はここの所良く耳にする早大での集団婦女暴行事件と、それに絡む政治家達の妄言騒動などを語ろうと思っていたのだけど、とてもじゃないけど話が大きく為りすぎたのと、全然まとまらないのと、書いている内になんだか反吐が出そうな思いに駆られたので、敢えて後日にする。

只、大事な事を書いておくとすれば、「被害者は悪くない」と言う事。
痴漢にしても、婦女暴行にしてもそうなのだが、こういった問題では兎角、「女も悪い」という様な、非難めいた事を良く聞く。
例えば服装であったりとか。
だがしかし、こうして被害者を責めるのはVictime blaming(犠牲者非難)と呼ばれる論理のすり替えでしかなく、説得力ゼロの妄言である。
もし仮に、これを呼んで居る方達の中で、そう言った被害などに遭い、斯様な戯れ事を言われたとしても気にする必要は皆無だ。
「自分にも落ち度があったかも」などと自己を責め肩を落とすのではなく、堂々と、胸を張り給え。
貴君が悪いのでは無い。

犯罪者は罪を犯したから悪いのだ。だから犯罪者なのだ。
この簡単かつ単純なロジックを、まず覚えておかねばならない。