早大連続強姦事件から考えてみた

 まず予め断っておくが、本文中に於いて強姦、レイプと言った言葉は総て婦女暴行と置き換える。
意味は同じであるのだが、これを読んでいる方の中にはひょっとしたらそう言った類の犯罪に巻き込まれ、今も尚、苦しんでいるかも知れない事を懸念してである。
被害に遭って心的外傷後ストレス傷害(PTSD)になってしまうと、こういった言葉を目にするだけで光景がフラッシュバックするという事もあり得るのだ。
言葉を換えてソフトにする事で、微力ながらもそう言った事が避けられれば幸いである。
俺は、徒にそう言った被害者の方々を刺激したり、或いは不法に貶める為に書くのでは断じてない事を明記しておく。


 先日記しておいたように、早大連続婦女暴行事件について考えていた。
悲しい事に、この事件は何ら特別なものでは無いと思う。
以前にも帝京大学や慶応大学、三重大学で同様の事件があり犯人共が逮捕されているし、俺の居た大学でも遠い知り合いが、この早大の事件と同じような状況で暴行され、自殺している。
それを知ってから俺は、春先に一年生をサークルに勧誘し説明する時には、「某というサークルは気を付けろ、出来れば関わるな」と教え続けていた。
また、サークルに限らなくとも、コンパの席などで同様の事をし、暴行すると言う事もある。事実、以前の彼女がそう言った目に遭いそうになったが危うく何を逃れたと憤慨していた事があった。


 何故、こういう事が後を絶えないのであろうか。
俺には、斯様な暴行願望というものは無い。当然、行った経験も行われた経験もない。
だから、そう言った意味では机上の空論を出ず、語る資格は無いのかも知れないが、同じ性別の男としてああ言った類の屑と一緒になどされたくないと言う思いがある。
勿論、電車の中で綺麗な形をした胸をした人見れば、あの乳揉みてえなあ等と思うし、綺麗な尻をした人を見れば、尻撫でてえなあ等と思う。
だが、それを相手の同意無しに実行するのは社会的に犯罪であるし、同時に俺の矜持が許さない。止めるのは理性。
矜持だとかは個人的な差異があるとしても、その他に俺と彼ら咎人らとで何が違うだろうか。何が彼らの理性を壊したのだろうか。


 一つには想像力だろう。
無論、俺も男であるし、女の痛みは分からない。
否、本質的には他者の痛みなどは分かる筈はない。
勿論、経験の有無も大きな影響を及ぼす。
銃で撃たれた事の無いものが、その痛みを察しろと言われても戸惑うだけだ。
俺は痴漢が大嫌いであるが、それには俺自身が過去数回、電車の中で痴漢された経験があるからだ。
最初は真逆、男が痴漢されるなどと思っていなかったから単に手が当たっているだけだろうと思っていたのだが、それが明らかに俺の尻やポコチンを撫でさすって居ると分かった時は、言いようの無い恐怖とおぞましい感覚で鳥肌が立ち、男の鼻息が耳に掛かる程近かったにも関わらず、後ろを振り向く事さえ出来なかった。。
これこそが、痴漢に遭った女の感じる恐怖なのだろうと後々になって思った。
因みに二度目は恐怖よりもムカつきが先行し、振り返り様に尻を撫でる手とネクタイをつかみ、怒鳴ると共に膝蹴りを入れたのだが。
こうした事が無ければ、俺は痴漢の恐怖などを想像する事は出来なかっただろう。
だが、在る程度は想定は出来る。
こんな事をしたらどんな結果をもたらすか、相手はどんな痛みを得るか、等。
それを考えるのが想像力という、人間にだけ持つ事を許された力によるものの作用。
普通、人は無意識にそう言う事を考えるものだ。
そして、社会的な法、或いは自分の中の法に則らない場合はやめようか、という意識が働く。
それが機能していなかったという事は、感覚が鈍化したか、或いは元々愚鈍であったか、だ。


 では何故、鈍化したか。愚鈍なものは愚鈍としか言いようが無いので除外する。
感覚の鈍化は、経験を重ねる事で進んでいく。
では、その最初の経験の時に社会的、或いは自己の規範を破る要因となったのは何か。
恐らく、人間は在る程度の年齢までは思考にそんなに大差が無いだろう。
つまり、後天的にその規範を破らせて行く物がある訳だ。
俺は、その鍵が女への蔑み、または憎しみから来るものでは無いかと思っている。
女に対して敬意や礼賛を抱きながら暴行するものは皆無であるだろう。
大抵は、自分よりも下等だから、と言う理由付けと共に行われるのではないか。自分よりも力(純粋な腕力の他に、権力、経済力なども含まれる)が弱いと言うのもこの内に入るだろう。


 その蔑みや憎悪は、総てでは無いにしても、個人的な事が起因と為っているような気がする。
例えばコンプレックスの裏返しに依る逆恨みであったり、他者を否定、差別する事で自己の優位性を保とうとする、等。
戦前・戦中、アジア圏に於いて「某人は人に非ず、拠って非道な事を為しても人で無い故に構わない」と言う論法が成り立った時があった。それと同じ構造で、差別化し下に見る事で「何をしても構わない」という論理が成立するのではないだろうか。
また、明治時代に流入した基督教の処女崇拝、貞操観と、明治政府主導の軍事国家建設の為の男性優位思想の導入の影響も否めないだろう。この場合は個人的要因ではなく、どちらかと言えば社会的要因であるが。
そして、その論理に基づいて一線を越えるのではないだろうか。
尤も、論理と言ったものの、実際にそれは論理とは言えぬような言い訳の類でしかなく、戯れ事の域を出ない。


 もう一つは、雑誌やAV、ゲームなどに拠る誤った知識の流布であるだろう。
こういったものは商品で在る以上、客に罪悪感を与えたりするような作りには普通、しない。
故に、暴行されても嬉しがる様子であるとか、男も気持ち良いものであるとか、気軽なものとして描写をする。
こういった商品は、先述した歪んだコンプレックスを矯正するのではなくより間違った方向へと導き満足させるものではないか。
こんな考え方自体、俺は嫌いなのだけれども、暴行する側の男の言い分としてそう言った誤った知識、思考が罷り通って居る以上、商品の与えている影響力は否定出来ない所か、寧ろ大きいとさえ思うのだ。
普通は、こういった類の商品というのは性的フラストレーションを解消する為に、そしてひいては性犯罪を軽減させる為に存在していると思う。だが、それが一部には全く逆効果となっているのではないだろうか。
勿論、仮想と現実の区別くらい普通はつくものだろう。時代劇を現実と混同して町中で辻斬りをする者が居ない様に。
なのだが、ああ言う犯罪者は在る意味で言えば理性のない異常者なのである。
異常であるが故に、俺達が常識として居る事が通用しない事も十分に考えられ得る。
そして、その異常を促進するのがこのような媒体ではないのだろうか。俗に言う悪循環である。


 因みに、暴行された時に女は膣から分泌物を出し濡れる事もあるのだが、それは感じているからではなく、生命の危機に瀕し遺伝子を遺そうと脳が勘違いしたり、或いは単に物理的刺激によって、快感とは無関係に分泌されるケースがあるらしい。
男でも、別に気持ちよくないのに勃起していたり、自転車を漕いでいるとその刺激によって勃起したりする事があるのは誰でも経験在ると思う。その程度の事にしか過ぎない事を記しておく。


 言う迄もなく、犯罪は犯した者がまず悪い。
罪を犯したからこそ犯罪者なのである。
にも関わらず、「被害にあったお前にも隙があった」「そう言う服装をしていた」「危機意識が足りない」等というvictime blaming(被害者非難)の論理のすり替えが行われる傾向が強い。
被害者非難とは、何か不幸があった人に対して、その原因を自分自身が招いたものだと非難する事である。
一番よく聞かれるのが、いじめにあった者に対して「いじめられる方にも問題があった」と言う様な事である。


 一つ、例えを挙げよう。
焼き鳥屋の軒先で焼き鳥を焼いている店がある。犯罪者Aはその美味しそうな香りにつられ、焼いている店員がふと、タレを店の中に取りに行った際に店先から焼き鳥を頂戴した。
すぐに捕まえられたAは、「食いたくなるのは本能だ」「美味しそうな匂いを出す方が悪い」「タレを取りに行く方が悪い」と言って憚らない。
だが、まず罰せられ罵られるべきは盗んだAであり、このちょっと店先を離れざるを得なかった店員を誰が責められようか。
そう、責められない。


 しかし、現実問題として同じ構造の問題が起こるのである。これこそが被害者非難による論点のすり替えである。
この被害者非難の構造の蔓延こそが、所謂性犯罪の告訴率の低下を招いて居たものだ。
物事に絶対、と言う事はない。総ての被害者に落ち度が無かったか、と言われればそれもまた違うだろう。
さりながら、先ず悪いのは犯罪者である、と言うスタンスは維持されねばならない。徒に被害者を責めるような事はあってはならない。それが許されるのは総ての事実関係が明らかになり、客観的な判断によって結果が得られた時のみである。
そう言った場合は犯罪者の方にも情状酌量などの措置が執られる事になっている。


 もし、危機意識の事を取り沙汰するのであれば、極端な話、女は帯刀すべきだとかそんな話に為りかねない。
銃ではないのは、「明らかに用心している事を見せつける為」である。銃を隠していても、「所持していないように見せる事で、男を誘っていたに違いない」などと言う屁理屈がまた、捏ねられるに相違ない。
これを、莫迦げていると論ずる事は出来ない。何故なら、現実がそうであるからだ。
だから悲しい事ではあるけれど、女は己の身を守る術を知って実践しておかねばならないし、男は勘違いされないような行動を取らねばならない。
一部の屑共の所為で関係の無い俺達までが考え、行動せねば為らないのは癪に障る事甚だしいのだが。


 すんません、そろそろ長く為りすぎたので締めます。
やはりこれだけの中にこの問題をまとめる事は出来なかった。単なる分析に終わってしまった。
余りに中途半端で申し訳無い。
もうちょっと突っ込んで何故暴力がつきまとうか、等と言う点や、無くすのは無理としても軽減させるにはどうするべきか、と言う所までやりたいものだ。
ただ、性暴力の原点はやはり、相手が上述した力関係に於いて弱者である、と言う事や差別が引き金となっているんじゃないかな、と言うのは見えた。
こういった構造であるからこそ、余計に無くしがたい。
だが、問題意識を持ち、提言したり実行したりする事が軽減させる為の一つの方法でもあるんじゃないかな、とも俺は思うのだ。
少なくとも、何も考えず唯、享楽的に安穏と過ごすよりはナンボかマシだと思う。


追記:こういった被害にあってしまった人に、俺は何もする事は出来ないのだけど、でも光を失わないように、いやな事もあるだろうけど頑張って欲しい。
そして、こういった被害を起こす糞野郎共はとっとと煉獄の炎に焼かれて欲しい。
男と言うだけで一緒に見なされるのは甚だしく迷惑だ。