キレる20・50代を目の当たりにして

 スロを打ち終え、すっかり憔悴しきって家路に就く。
乗った電車が途中の駅で終点になってしまう為に、後続のに乗り換える為に一度降りて、煙草に火を付けて待っていた時の事だった。
15m位離れた所で突然に大きな声がした。
何事かと見れば、中年のサラリーマンと、それから若者が乱暴な言葉で言い合っている。


 どうも話を聞いていると、煙草の煙を上に吐けとか何とか言うのが起因らしい。
どちらが煙草を吸っていたのかは分からないけど、その場所は喫煙コーナーではないから、煙草を吸っていた方が悪い。
恐らくは、その若者の方が煙草を吸っていたのではないだろうか。
それに対し、サラリーマンが注意を促した、と言うよりは命令した事が騒動になった、そんな事だろう。
それを溜息混じりに見ていた時にふと、先日読んだ新聞の記事を思い出した。


 「キレる20・50代、駅員や車掌らへの暴力被害急増」と題されたその記事。
確かに、今眼前で争っているのが丁度そんな年頃の者達で、記事を改めて裏付けるような事となった。
まあ、最初に煙草を吸った方が悪いとしても、けれども注意を促すにしたって色々と在るだろうに。
慮る事をせず、頭ごなしに命令されたら誰だってカチンと来るわな。
そう言った意味合いでは、サラリーマンの方も悪いとは言わないけど、やりようはあっただろう。


 きっかけはどちらも些細なもので。
どうしてお互いに、わざわざ火に油を注ぐような真似をするのだろう。
煙草を注意されたら、「あ、すみません」の一言で変わる訳だし、注意する方も「申し訳ないですが」の一言を添えるだけで変わる。
そう言った配慮の出来ない事、それが余裕の無さを物語るのだろうか。
不景気だとか、リストラだとかで社会的にストレスが溜まっている事は分かっている。
けれど、心に少し余裕を持ち、そういった事に遭遇したとしても、「しょうがねーな」と苦笑いでやり過ごす事の出来るように在りたいものだ。


 そしてもう一つ思ったのが、言は身の文と言う事。
使う言葉に品格が自ずと表れてしまう。
その時々の感情や、そして培ってきた人間の中身そのもの迄さえも。
見知らぬ他人に対し丈上高に物言いをするものは、自己を他者よりも優れていると自認し、権力的、制圧的であり、それが他者から見れば張り子の虎の様で在るにも関わらず、その小さな身にそぐわぬプライドを引っ提げた者であるだろう。
見知らぬ他人に対し乱暴な物言いをするものは、その品の無さを露呈し、己がどれだけ愚かであるかを宣伝してまわるようなものだ。
どれだけ偉そうにしていても、賢ぶっていても、言葉からメッキが剥がれていく事も少なくはない。
別に取り繕う必要は無いけれども、でも、だからこそ言葉には注意を払って使わなければならないだろう。
まあ、そんな俺も「全く以てFuck'inだぜ!」とか言ってる時点で駄目駄目ではあるのだが。


後記 言い合いの末にリーマンが「こっち来いよ!」と言いホームの隅の方へと誘った所、若者は「行ってやろうじゃねーか!あ?」と発言。
ストリートファイトの始まりかと思いきや、リーマンが向かったのは駅長室の前。そこでしきりと「どうしたよ?来いよ」と挑発。
それに対し若者は「どこ行くんだよ!必要ねーだろうがよ!」と拒否。
駄目だ、この若造。単なるヘタレだ。カッコ悪。
虚勢も甚だしいと見ていて哀れにすらなるものだな。無論、同情など微塵もせんのだが。