養老孟司「バカの壁」・読了

もの凄い豪雨。
昼間なのに空は黒く、降る雨で向かいの家さえ霞む。
地にぶつかった雨がそのまま霧となって、更に視界を遮る。


 こんな最中に出掛けられなどしないので本を読む。「バカの壁」読了。
なんだかベストセラーになっていて、俺はあまりそう言うのは好きじゃないんだけど、大脳生理学の観点からバカについて論じたものだと思って買ってみた。


 感想としては、物足りない。
色々と例を出し、そして展開される主張に「うんうん、そうだよね」と相槌は打つものの、何か特別新鮮なものを知った訳でもなく。
勿論、知識なんてものは人それぞれで多少の差異はあって、「俺の知ってる事ばかりだ」と言う事が優れていると言う訳でも無いし、逆に知らない事が多くて辟易するものでも無い。
知って居ようと、知らざろうと、ならば更に多くを知る事自体が重要であるのだから。
ただ、個人的にはあまり新しく得る物がないな、と。


 それと、主張も何故か、俺の言ってる事と被っているから、それ自体もあまり新鮮味が無かった。
本の中で、一元論について論じられている章があるのだが、そんなん俺、ここで口酸っぱくして言ってるし。
俺個人の主張を展開する上で、養老孟司の言葉を借りて展開すれば客観性や一種の格付けも出来る訳なのだが、俺はあまりそう言う事はしないと思うし。
いや、勿論、する事はするのだが、他人の言葉を借りて自分の主張を裏付けるのってのがどうも苦手らしくて。


 そもそも、「バカの壁」というタイトルであるにも関わらず、バカについてあまり論じられていない。
話が多方に飛んでしまっていて、「ではバカとは何か」という事、「バカの壁とは何か」と言う事についての言及が少ない。
結局は身体の重要性、一元論の危うさに落ち着いてしまっている。


 俺達は日々常々、バカ(俺の記述方式では莫迦、ね)を見る。
俺自身もまたその莫迦の一人であるだろう事は否まない。
が、それでも、街などで様々な莫迦を見ると、こいつと俺とでは隔絶の感があるようだが、その違いは一体何なのだろう、と思う事も多い。
当然のことだが、人間は育ってきた環境や意識によって現在の自分が存在する。
その差異自体を否定する事は結局、単なる自己愛と排他主義に帰結してしまうだろう。
だが、それでも、自分と莫迦の間にあるものは一体何だろうか、と言う疑問は残ってしまうのだ。


 おい、お前何様のつもりだよと言う声がするだろう事も分かる。
こうして書いている俺自身、図々しい言い草だなと思うし。
だが、俺がこの本を読んで知りたかったのは、まさしくその差異と、それを生み出すものについてだったのだ。
しかし幾度か書いている通り、それについては俺の想像の埒の内にあった。
それが、この本を読んで残念に思った事であった。


 ただ、雑学として見るのならば、面白い本だとは思う。
積極的に勧めはしないが、もし気になっているのであれば、まあ買っても損は無いかな。
一番手っ取り早いのは、誰かから借りる事だと思うけれども。


追記 夕方になって漸く、スコールの様に降っていた雨が止んだので外に出た。
側溝は宛ら川の如く、小さな濁流となっている。
路面からは湿った空気が立ち上がり、独特の匂いがする。
つうか、大雨の後ってアマガエルの匂いしねえか?