村上隆とオタク的要素

 漫画・アニメ的な作風で国際的に活躍するらしい、自称芸術家の村上隆が制作した作品が、今度ロックフェラーセンター前で公開される事になった。
そして先日、展示される作品がマスコミ向けに公開された。詳しいソース>>これ。


 村上隆は過去、ルイ・ヴィトンとのコラボレーションをしたり、美少女人形がクリスティーズで極めて高価で落札されたりと話題性に事欠かない人物で、今回もまあ、上手にメディアと西洋人を使った印象を受ける。


 村上というと、必ず云われるキーワードの一つに上でも記した「漫画・アニメ的作風」というのがある。
事実、クリスティーズで落札された人形は、如何にもといった風情の架空の美少女アニメ人形であったし。*1
ただ、実際に村上の作品を何度か見た上で云えば、果たして本当にアニメ・漫画的、言い換えればオタク的表現であるのかと言う所に疑問がある。


 今や、オタク的文化、と云った所でその枝葉は極めて多様化している事実がある。
きちんとデッサンが取れ、話自体もしっかりと練られているアニメもあれば、骨格がそもそも異常で、中でも目が異様に大きく、あり得ない格好をし、「ふに〜」だの何だのと抜かす、もう見るだけで拷問、原作者は俺の目の前で尻バット7万回、みたいなものもある。
それらは総て好みの問題ではあるけれど、最早それらを同一視も出来ないんじゃないだろうか。
映画、と言ってもハリウッドとフランス映画とでは異なる様に。


 どうしても、オタクという言葉にはネガティブなイメージが付きまとうのではあるけれど、映画「Matrix」ではそのオタク的要素・表現をふんだんに取り入れている。
Matrixをありがたがって見る一方で、それらのベースとなっているアニメや漫画、或いはゲームなどをダサい、などと切り捨てるのは明らかに間違っている。
Matrixの場合はまだ、パクリといってもそこにある種のオマージュ(憧憬)を感じる事は出来るのだ。
だが、村上の場合は同じようにオタク的要素を用いているにも関わらず、その憧憬の様な物も感じ取る事が出来ないし、寧ろ心の何処かではそう言ったオタク的要素を嘲笑っているかのような印象さえ受ける。


 何も、パクりは総て悪い、とは一概には言えないのだ。
総じて芸術というのは、パクりから始まる傾向が強い。絵で云えば尊敬する画家の絵を模写し続ける事でその人のタッチを取り込む事が基礎だし、音楽にしても、まあ普通は誰か他のアーティストの曲をコピーしたりする。
時々、「この曲って某の曲に似てる」という事があるけれど、それは意図的なパクりの可能性の他に、影響された可能性も否めない。
俺が好むテクノという音楽ジャンルでは、他の曲の一節をサンプリングして使うと言う事が罷り通っている。そう云うのも、俺にパクりが一概に悪いと言えないと思わせている一因もある。
ただ、今挙げたものに於いて云えば、インスパイアという愛情のようなものが基礎となっている。


 所が村上の場合、憧憬やインスパイアが動機となったパクりではなく、どうも海外でジャパニメーション流行ってるから、いっちょ取り入れてみるか、と云った様なニュアンスが漂う。
オタク、と言うのは好きが高じてオタクとなるものだが、彼はそもそも、オタク的なものが好きかどうかさえも疑わしい。
そう思ったのは、何時だったかもう覚えては居ないが、彼の絵を見た時だった。
アクリル系の塗料でべた塗りされていて、如何にもアニメ的な塗り分けではあったのだけれども、何か違うと言う違和感。
オタク系の人の絵も見た事があって、塗り方とかも似ては居るのだけれどもやっぱり違う。
Matrixでも感じ取れたようなオタク的要素を、俺は彼から掴む事は出来ない。


 そして、改めてこのNYで展示されると言う仏像を見てみれば。
どこにもオタク的要素を感じる事は出来ないのだ。
強いて云えば漫画的表現ではあるけれど、それを言い出すとNOVAうさぎなどのキャラクター物もその範疇に入れざるを得なくなり、明らかにおかしくなってしまう。
しかも、仏像、と敢えて云う辺りが俺には欧米の東洋かぶれを刺激するキーワードとしてやってるとしか思えない。
ま、俺は村上隆が大嫌いだから、坊主憎けりゃ袈裟まで憎し、と云う感じで思ってしまってるのかも知れない。
けれども、それを抜きにしても、仏像をテーマに、オタク的表現で表すのはもっときちんと出来る筈だ。
にもかかわらず、そうしてない辺りに俺は、彼の計算高さというか、狡猾な商売根性が見えるようで為らない。


 俺自身、正直あまりオタク的なのっては好きではないし、興味も無い。
先程も述べた様な、露出過多で、何か目がでかくて妙な事を口走るようなのが沢山出てくるアニメとか見ちゃうともう、身の毛よだつし、気持ち悪くて仕方ない。
けど、家でテレビでアニメ見たり、漫画読んだり、ゲームしたりはする。そう言った意味で言えば片足突っ込んでいる。そうした意味で言えば俺を含めた多くの人は、何だかんだ云ってオタク的なものに知らず知らず片足突っ込んでいると云っても良いだろう。
それに、偏見で物を見ると損をする事も知っている。たかがアニメ、たかが漫画、と言って切り捨てるには勿体ないものが幾つもあるし。
優れた漫画やアニメ、ゲームは亜流の小説、映画を遙かに凌駕する力がある。
所が、村上を持ち上げている人達−海外の人達や国内のメディアに携わる者達−は片足さえ突っ込んで居ないのでは無いだろうか。
そもそも、オタク的要素とは何か、そう言った事も分からずに、ビジュアル先行で決めつけて居るのではないだろうか。
だとするならば、それは所謂オタクとして、絵を描いたり物を作っている人達を余りにも莫迦にした話だ。


 ま、正直な所で云えば、村上隆がどうなろうと俺の知った事じゃない。
けれど、彼の作品よりは、俺は最近のお菓子のおまけの方がよっぽどアートしていると思うし、市井のCG描き達の方がよっぽどオタク的要素の本質を突いていると思う。
村上の作品が高価で遣り取りされたり、メディアに登場して脚光を浴びる程に、市井のオタク達の築き上げて来たものが蔑ろにされ、そして美味しい上澄みを掠め取られて行っている、そんな気がして為らないのだ。


追記 本当は「仏像」という事に対しても噛み付きたかったんだけど、長くなるようなのでパス。
でも、一言言うなら、アレを「キリスト」って言い張った時に向こうでどんな反応を得るか。
日本でも、仏像というのは宗教上重要なファクターである事を彼は忘れている。

*1:但し、この人形は村上自身で制作したと言う訳ではなく、所謂マニアックな人に制作を依頼した物であるという事は付記しておかねばなるまい