席を譲ると言う事とモラルハザード

 前回から続くのだが。
乳幼児を含め6人で葉山の海に行った帰りに、鎌倉に寄って飯でも食うか、と言う事になった。
ま、夏休みとはいえ日曜日ではないし、さほど混雑もしていないだろう、と思っては居た。
鎌倉には俺のお気に入りの「ミルクホール」という店があり、どうせならそこ、行こうぜと提案。
横須賀線で一駅、鎌倉に降りた所。
駅前は非常な混雑をしており、女の子達は浴衣の子も多い。
どうやら、祭か何かあるようだ。
事態を察知して、どうする、鎌倉やめるか、と提案したが、大丈夫だろう、それにこれから横浜なりに出るとまた時間食うし、と、結局鎌倉で飯を食う事になった。
聞いた所、花火大会があるようで、どうせならそれも見ておくかと言う事にもなった。


 花火は由比ヶ浜で行われるらしい。本来なら其処まで行く所だが、幾度も記している通り此方は子供連れ。
混雑に巻き込まれ厭な思いをしても損なので、敢えて遠くから眺めるだけにし、花火が終わり次第、混雑する前に電車に乗る算段ではあった。
所が、予定よりも40分早く終わってしまい、計算より多くの人が駅に戻ってきている。これで実際に浜にまで行っていたら大変な事になってただろう。俺達も、慌てて駅に入る。


 慌てて駅に入っても、電車は10分から15分に一度くらいのペースでしか来ない。
結果、後から来る人でホームは溢れんばかり。
関東は比較的、行列に対する意識は高いものだが、こう人が多いとそれも怪しいものとなる。
電車が到着し、ドアが開くや否や、飢えた肉食動物のように一斉に空いている椅子に向かう人達。
せっかく早く並んで子供の分くらいは席を取ろうと思っても、この有様では如何ともし難い。


 だが、俺は一つの策を考えてはいた。その為にわざわざ、車両の切れ目あたりに並んだのだ。
則ち、「優先席」である。
文字通り優先席は、子供連れの人や身体に不自由のある人、或いは老人など、弱者である人達への優先席である。
友人夫妻はそれぞれ乳幼児を抱っこして乗り込んでいる。その光景を見れば普通は、席を譲って貰えるか、或いは俺が直に譲らせれば問題無いだろうと思っていたのだ。
あまり人に善意を要求するのは好きじゃないが、この優先席はそれが或る意味では当然のように行われなければならない。
その為の場所なのだから。


 所が。
優先席に座っている若者のつがいは乳繰り合うのに大忙し、別の中学生は携帯型のゲームに大忙し。
ならば逆サイドは、と見てみれば、だらしなく浴衣を着た、頭悪そうで、複数の性病のキャリアでありそうな若い女三人が占拠し雑談に花を咲かせている。
浴衣の女達の前には白髪の媼が杖を片手に立っているにもかかわらず、だ。
駄目だ、これでは待っていた所で埒が開かん。


 それならば、埒を開けてご覧入れよう、とした所。
俺の考えている事を察知してか、友人の細君が、私達は大丈夫、どうせ横浜までには空くだろうし、と俺を抑えに掛かる。
別の友人も、気持ちは分かるが事を荒げる事も無いだろう、と。
どうやら、俺の眉間には相当、皺が寄っていたらしい。


 実際、この優先席を占拠している奴らのどれかに理を説いて席を立たせようか、場合によってはもうちょっと、強行的(とは云っても平和的に)に出ようかなとは思っていた。
こうして友人達と敢えて大声で遣り取りする事も有効な方法ではあるかな、とも思っていたのだ。
自分たちの目の前でこんな事していたら、余程愚鈍では無い限り、バツが悪くなって子供の分だけでも席を譲って貰えるかな、と。
ま、結果としてはその余程愚鈍、であったのだが。人に期待するのも莫迦莫迦しいけどな。


 先程も述べたが、善意を強要する事は見苦しい。
そもそも、善意は自発的な意識であるものだし、それぞれで感覚は違う。
だが、こういった状況に遭遇してしまうと矢張り、何だかなあと云う気持ちには為る。
子供を抱えた婦人や、白髪の杖を持った媼を差し置いてヌケヌケと席に居座り、乳繰り合ったり、携帯ゲームしてたり、枝毛抜いたり、メール打ってんじゃねえよ、と、そりゃ顔に俺の下駄の歯の跡付けたろうか、と思うつうの。


 そりゃ、俺も気が付かないで居たり、俺の方も体調が悪くて席を譲れない時もある。
でも、心の中ではちょっとした罪悪感に見舞われても仕舞うし、だからこそ余計に、健康な時は率先して席を立つ。
彼らが気が付かなかった訳はない。俺は彼らに対してメンチ切って(ガンを付ける、とも云う)居たから、当然何度か視線は合っているし。
と、云う事は、恐らく彼らには罪悪感自体最早欠如しているのかも知れない。


 モラルハザード、と倫理観の喪失が叫ばれ始めたのは結構前だと思うけれど、実際にこうして遭遇するとムカつくもんだ。
そして、何よりもそのモラルハザードを引き起こしているものが何なのか、どうすれば倫理観というものを人が再び身に着けるのだろうか、と言う事が気になった。
倫理観だのという物は個人の主観に伴うものだから、絶対的なものではない。
法律の様に予め出来上がっているものに従うものでもないから。
けれども、年寄りや子供を放っておいて自分たちが楽をする、そう言うのは病的。
その、病的な部分が日本を覆っているのだとすれば、日本自体が病的。
俺が健全か、と言ったら全然健全じゃないと思うけれど、でも、俺達は、国が病み人が病んでいく所を唯、目の当たりにするだけしか出来ないのだろうか。


 事は主観的な事。だから難しい。
まあ、煙草条例のように法でなんとかする方法もあるけど、それも何だか違う。
それとも、最終的には法的抑止力などの力を借りなければならないのだろうか。
もしそうだとするなら、これほど自分たちが如何に莫迦であるか、法などにやって貰わないと何にも出来ない無力者であるか、を証明してしまう事にもなる。
それもそれで、何だか寂しい。