「萌え」の意味と考察

 恒例の、友人達が上京してくる季節となった。
彼らの用事が済み次第連絡を貰い、俺も家を出て待ち合わせの場所に向かう。
大雨で電車が止まった所為で、約束の時刻には遅れたが、俺自身の所為によるものでは無いから俺は悪くない、悪いのは雨であると主張していたら、相変わらず、だの何だの言われる。


 今回は居酒屋。
それぞれ酒を頼み(尤も、一人は居酒屋にも関わらずパラダイスアイスティー等頼んで居たが)、やれ久しぶり、だの、最近スロは何打ってる、だのと言った軽いジャブから次第に濃い話になる。
そして、その会話の最中に幾度か登場した「萌え」という言葉。会話中ではTV番組「トリビアの泉」の「へー」の様に使われていた。
それを契機に、俺は兼ねてから思っていた疑問を問うてみた。則ち、萌えって何、と。


 ネットで他の方が書いた文章などを読んだり、或いは話を聞いたりしていれば、恐らく殆どの人は聞いた事があるだろう。
実際、俺も何度も耳に、或いは目にしている。
その言葉が使われている状況などから、或る程度の意味の推察は行えるが、厳密な意味としてはよく分からない。
個人的には、自分で意味の良く分からない言葉を用いるのは好きではないし、また、どうもオタク的な匂いがするから遠慮もしていたのだ。


 まず初めに、辞書に載っている意味をそのまま転載する。そう、友人達から教えて貰ったのだが、既に辞書に載っていた事だったのだ。


もえ 【萌え】

ある人物やものに対して,深い思い込みを抱くようす。その対象は実在するものだけでなく,アニメーションのキャラクターなど空想上のものにもおよぶ。
〔アニメ愛好家の一部が,NHK のアニメーション「恐竜惑星」のヒロイン「鷺沢萌」に対して抱く,ロリータ-コンプレックスの感情に始まるといわれるが,その語源にも諸説ある〕

三省堂提供「デイリー 新語辞典」より


 こう、書かれると情熱に近い感情と思うのだが、友人達の説明では、現在では更に意味は多様化、広範化されているという。
情熱は強い感情であるが、萌えとは必ずしもそうとは限らない、という事。
対象も人物に留まらず、例えば身体的パーツ、服装、装着具、そしてシチュエイションにまで及ぶという事。
更に、それらに向けられるのは単なる好意だけではなく、どうやら仄かな欲情、匂い立つエロティシズムも内包される事があるらしい。
例えば、俺は自分でロングコートを着るのは好きだが、その場合にはロングコート萌えとは言えない。
誰か女性が着ているのを見て、初めてロングコート萌え、という事が出来る。しかも、この場合はロングコートを着ている女性殆どに向けられた言葉である。
同様にして、足の細い人萌え、であるとか、眼鏡(掛けている人)萌え、等と言う事が出来る。


 シチュエイションの場合はどうか。
これも多岐に渡り、そして必ずしもセクシャルなものに結びついたものでは無いらしい。
つまり、単に学校から駅までの道のりを女の子と一緒に二人歩く、とシチュエイションも合致するし、もっと露骨に、人の居ないデパートの屋上で何時人が来るか分からないスリルを味わい乍ら性行為に勤しむ、というシチュエイションも合致する。


 これらの点から考えると、程度の強弱はあれ、暗に性的な内容を含む事柄に対して好意的に使われる言葉だと言えるだろう。
性的、という言葉に対して一種の嫌悪感や、或いは違和感を覚える方も居られるかも知れない。
そこの所をもう少し深く言及しておくと、意識的な性欲の介在の有無は兎も角、恋愛もその根元的な動機は性的なものである以上、一番この言葉が妥当かと思い、性的と言う言葉を使用した。まあ、若干フロイト的解釈なのは自認しているが。


 そして、俺が行き着いたのは「フェティッシュ」という言葉と同義では無いだろうか、という事だ。
厳密に言えば、フェティッシュという言葉の意味を更にぼやかし、意味する内容も、対象も広範にしたものが萌えでは無いだろうか。
フェティッシュという言葉はもともと、呪術的な効果をもつとされる物、呪具・呪符・護符などの類を意味していたが、後には異性の身体・衣類・所持品などの事物に対し,執着・愛好する態度も意味する様になった。そう、上の例で挙げたパーツに対する萌え、と全く同義である。
しかし、フェティッシュがあくまでも人の付けている物、或いは付けている人(その対象物を身に付けていなければ個人がどんなに魅力的でも対象外となる)に対しての欲情という限定的な意味であるのに対し、萌えは先述した通り広範な意味である。
そう、使い勝手が良い言葉であるのだ。
更に、この萌えという語感の柔らかさも加味されてか、フェティッシュ程どぎつくない印象も与える。
色白フェチ、と言うと一種変態的な感は否めないが、色白萌え、と言えば柔らかく聞こえる。
だからこそ、言葉が広まって行っているのではないだろうか。


 そして、これらの事、特に意味が広範であるというのは日本人独特のものだと言えるだろう。
日本人は、敢えて物事を曖昧にしたり、見えないようにして清濁併せ飲むのを好む。
その理由は世界的に見ても希有な、多神、多宗教主義と、狭く島であるという閉鎖的な国土にあるだろう。
ユダヤ教に端を発する宗教(イスラムやキリストなど)は一神教であるが故に、他の宗教の存在を認めない。
他の宗教を認める事は即ち、自分たちの宗教を否定する事になるからだ。
だから宣教師を各地に派遣して宗旨替えをさせたり、或いは左手にコーラン、右手に剣などと言う言葉も生まれる。


 しかし日本ではもともと土俗的に多神教であったために、一神教として入ってきても多神教として馴染んで行かざるを得ないのだ。
その証拠が、各地に残るマリアの形をした観音像や、キリストを模した仏像である。
勿論、これらは隠れキリシタン達の隠れ蓑として使われた事も多いが、それとは別に、基督教が日本中に伝播し、馴染んでいくに従って既に日本で根付いていた仏教と繋がった事を表している。
その事はイエズス会から派遣された宣教師のルイス・フロイスが書いた報告書「日本覚書」の中に、日本人の特有な風習の一つとして記述されていた。気がする。無責任且つうろ覚えですまん。ヴァリニャーニの報告だったかも知れない。


 また、国土が狭く閉鎖的であるというのは、裏返せば多少厭な事が在っても我慢しなければやっていけない事を表す。
故に、臭い物には蓋をするという言葉が生まれ、敢えて見ない様にしたり、或いは敢えて言葉の意味を広範にし、良くも悪くも取れるような事にしたりする。
対立する事ではなく、共存する事に日本では意味があるのだ。


 これらの歴史的背景も手伝って、萌えという言葉が多く使われる様になったのではないだろうか。
今は、俺も抱いている通りオタク的な、ネガティブなイメージも付きまとうのだが、恐らくあと5年から10年もすればもっと浸透し、極めて一般的に使われる言葉になる可能性が大きい。まあ、既に辞書に載っていた訳だし。


 と、友人達から説明を聞き、そしてそれを元にして色々と考察してみた。
俺が思っていた漠然としたものは、漠然としているのが正解であったという事だ。
意味を総括すれば、矢張り上述した「暗に性的な内容を含む事柄に対して好意的に使われる言葉」となるだろう。
まあでも、今は俺は敢えて使う事も無いかな。やっぱオタクっぽいし、と。
そんな否定をしてみた所でモテ度が上がる訳も無いのではあるが。
使っても、使わなくても変わらないのであれば、慣れてないから使わない。


追記 ひょっとしたら大きく意味を外れているかも知れない。そん時は指摘プリーズ。


併記 全然関係無いけど、これ書いてる最中に猫が部屋にやって来て、俺の脱ぎ散らかした靴下の匂いを嗅ぎ、うわっ、という顔をした。なんかすっごいムカつくんですが。