パチスロ屋で刃傷事件に鉢合わせた事

 初めは、粗忽な店員かと思ったのだ。
それが真逆、あんな事だったとは。


 今日は、各地で新装(新しい台が入荷する日)で、そう言う時は大抵良い設定を置いてあるから、俺もそれを狙って関内まで打ちに行った。
くじ引きで当たりを引き、嬉々としてその新台を打ち始めたものの、ハマリのでかさとどこで熱く成るべきか分からない展開に次第に気怠さと苛立ちを感じていた時の事だった。恐らく、時刻にして午後3:40分位。


 俺は、バッグを背もたれに掛けておく癖がある。結果、バッグ本体は丁度俺の真後ろ、床辺りにある。
そのバッグに、誰かが躓(つまづ)いてよろけてきた。
そいつの腕が肩口に当たったので、何やねん、と脇目でちらりと見ると、ちょうど右目の高さより少し上に、よろめいていた人の肘と、薄いグレーの半袖が見えた。
ぶつかっても詫びすらも無く、その時は少しだけ、不躾な奴め、と思った。


 直後何気なく、凝り始めた肩を廻そうと立ち上がってふと、後ろを見れば。
人、1人分程の狭い通路を挟んで、俺の真後ろで打っていた若者が首のあたりを抑え、仰(の)け反るように立ち上がった所だった。
白いシャツの背中は、鮮血で紅に染まり始めている。
俺は呑気にも、こいつ鼻血出したな、と錯覚していた。
…待て。鼻血では背中は血に染まらないじゃないか。直後初めて、尋常成らざる事態を察知した。
取り敢えず、邪魔にならないように素早くバッグを椅子の上へ置き、被害者の友人に止血するように指示して、窓から表を眺めた。
賊は、既に雑踏に紛れてしまって居た。


 狼狽(うろた)える女子店員に、俺に返り血は付いてないか聞くのと同時に、何か見てましたか、と問うと、マスクをした人がいきなり、後ろから刃物で刺したという。
その直前に躓いたか、または直後逃走する時に勢い余って俺にぶつかってしまったのだろう。
改めて、逃走ルートと思しき所を少し走ってみたものの、やはり時既に遅し。
戻ると、床に滴った血を店員がモップで拭いていた。しまった、現場保持させるのを忘れていた。ひょっとしたら、足跡がついていたかも知れないのに。


 店内は一時騒然となった。
野次馬気分で見に来る者、携帯で写真を撮る者、そして、その騒ぎを余所に打ち続ける者。
俺の台は、被害者の方の丁度真後ろ故に、とてもじゃないが打ち続けて居られる環境ではない。
にも関わらず、俺の両隣の人らは、後ろで血をだらだら流しながら苦しそうにしている人が居ても、それを横目に打ち続けていたが。
こんな状況で我、関せず、と打ち続けて居られるのは、余程愚鈍か、或いは現実感覚が麻痺しているかに相違ないだろう。


 騒動が起こってから10分程度した後、漸く警察と救急車が到着した。
俺は真後ろに居た訳だから、当然情報提供を呼びかけられた。
俺は俺の見た事だけを言う。
暫くの間事情聴取に応じた後、自分の席を見れば鑑識が立ち入り禁止のテープを張り巡らせ始めた。
一応、ぎりぎりで俺の席は座れそうなのだが、俺が戻っては鑑識の邪魔にしかならんだろうと判断し、そのまま煙草だけ取って貰って待避。
俺の両隣は尚も打ち続けて居るが。こういうのを見ると何処か頭のネジが飛んでいるのでは無いか、何か大事な事が欠落しているとすら思う様になる。


 丁度、俺の居る辺りを中心に同心円を描く人垣を分け外に出ると、救急車や警察車両の到着という事態に界隈は大騒ぎと成っていた。唯でさえ繁華街の中、人は黙っていても集まる。
その渦中から出てきたとあれば、野次馬達が放っておく訳がない。案の定、矢継ぎ早に質問責め。
答えられる範囲のものだけを答えるものの。挙げ句の果てには知らない人の愚痴を聞いたり世間話につき合ったり、何故か俺が励まされるという顛末。正直、参る。


 何度か様子を見に戻り、そして鑑識の仕事も一段落したのを見届け、漸く俺も台に戻る。
すると先程、事情聴取しに来た警官が俺の元へとやって来て、礼を述べた。俺も、いえ、これは義務ですから、と答える。
暫く台を放っておいた所で、すぐ当たる訳でもなく、また面白くなる訳でも無く、妙な疲労感を感じながら遅れた分をブン廻す。
また長くハマって、ちょろっと連チャンして、という展開に疲れが出てくる。


 考えてみれば、恐らく犯行は場当たり的な、通り魔的事件だろう。
そして、その被害者は俺であった可能性も非常に高いのだ。犯人から見て右手に居るか、左手に居るかの違いでしかない。
にも関わらず、俺はこうして何の傷も負う事は無く、ピンピンとして居られている事実。
流石に今日ばかりは神に感謝した。
大きな勝ちを得ずとも、命が助かった。元手は回収したし、それで今日は結果大勝ちじゃないか、と自分に言い聞かせ、思い切ってやめる事にする。
騒動も一段落し、事情聴取やビデオの確認などでてんてこまいだった店員達にも、漸く平静が戻って来た様だし。
メダルを流そうとすると、店長が俺に申し訳ありませんでした、と詫びを入れに来た。
いえいえ、非常時に協力するのは当然の事ですし、と笑顔で答えつつ、心の裏では詫びるんなら高設定打たせろよなーと愚痴る。


 多分、この詳しい事は明日の朝刊に載る事だろう。
だから、今あの被害者の方が生きて居るかどうかは定かではない。まあ個人的見解としては、失血量が少なかったから、一命は取り留めたはずだと思うが。
丁度、過日名古屋の千種区で起きた通り魔事件の犯人と思しき女が逮捕されたが−余談だが、あの辺りは大学在学中、良く通った−、あの事件の、そしてこのスロ屋での通り魔事件での犯人の胸中、如何なるものなのだろうか。
どんな心の闇が引き起こすものなのだろうか。
こうしてとても軽はずみに、他人を傷つけたり或いは命を奪ったりするような風潮がはびこる事は、許してはならないし、その闇を照らさなければならないだろう。
そして、少なくとも、自分勝手に他人を傷つけたり命を奪ったり、或いは権利を蹂躙する権利など、何人たりとも持ち合わせてなど居ない。
その禁を犯す咎人は、ちゃっちゃと断罪されて然るべきだし、俺自身の安全の為にも、早くとっ捕まって欲しいものだ。


追記 事情聴取の時に思ったのだが、どうもあの警官はある枠に強引にあて填めようとする傾向があった。
身長は分からない、って云ってるのに170cm位だね?と誘導するし。
俺は当時の状況を再現して、165+−5で見た方が良いかも知れません、と答えたにも関わらずよ。
それは下手すると、冤罪を生み出してしまい兼ねないのに。


併記 それにしても不可解なのは、何故あのスロ屋じゃなければならなかったのか、何故俺では無く背後の彼だったのか。彼である必然があったのなら、それは犯人探しの大きな糸口なのだが。