若手立候補者の事を読んで思った

♪あ〜なただ〜け 見つめてる〜 出会った日か〜ら 今でもずっと!
病床からコニャニャチワ。Wacremaです。
スラムダンクっておもろいな。初めて本気で見たわ。


 新聞を読んでいて、立候補者の中に金融出身の、俺と大して年齢が変わらない人達が居るのを知り、ちょっと意外だった。
と、言うのもひとえに、俺と近いじゃん、と言う事でしかないのだが。


 ただ、彼らの、大手銀行時代の経験を基に国を変えていこうと言う意志、及び実行力自体は良いのだけど、幾ら若い世代と言っても結局エリートじゃん、と言う感想も否めなかった。
これは嫉みとかじゃなくって、国政を変えていこうと言う人間の中に、果たして極めて普通の現状を認識している人間は如何ほどいるのだろうかと言う事だ。


 大人気を博したドラマ「踊る大捜査線」の有名な台詞で、「事件は現場で起きているんだ!」というものがあるが、それと似た様なもので。
政を行う人間の中に、現場=市井の実情をを知っている人間が多くなければならないと思うのだ。
さもないと、政治は只の権力闘争の場、そして単なる机上の空論を行うような所になってしまう。
いや、なってるか。


 普通の生活と言っても、統計上での平均値なら兎も角、それは主観的なものでしかなく、当人にとって普通であっても他から見れば高値の華という事だって往々にしてある。
だから、本来は普通って言葉を多用すべきでは無いのかも知れない。普通とは、人の数だけ存在するものだ。
だが、敢えてやはり、普通の生活をしている人の参政を期待したいし、そうあるべきなのではないかと思う。


 そのハードルとなっているのは矢張り、選挙とその後に掛かる金なんだろうな。
人間として大した事が無くても、金があれば立候補、当選出来て、地元の名士とか言われちゃったりするシステム。
金欲に(まみ)れた土建屋風情が先生とか言われちゃったりするシステム。
そう言うとこから変えてかないと、結局だらだらと、一切は流れて行くんだろうね。


 つうかさ。
政治家の事「先生」って呼ぶの止めねえ?
偉い訳じゃないんだしさ。普通に「代議士」で良いじゃん。
あと弁護士も。
偉いという言葉は、己の職責を全うした人間に送られるべきものであって、そしてその観点から言えば、どんな人間でも職責を全うすれば偉いのだ。
更に、職責を全うするのは当然の事だから。結局、偉い奴など居ないのだ。


 いかん、話が反れた。
ここらで床に就くわ。モヤスミ。