オナニーは害でも毒でも無いと言う報告

 テレビブロスというテレビ番組雑誌がある。
テレビ雑誌の癖に本来のテレビ欄よりも、他のコラムなどが充実しており、また、全体を貫くアンチ大衆路線が気に入って、読み物として買っている雑誌なのだが、それを読んでいたら面白い記事があった。
オーストラリアのヴィクトリア癌研究所の発表した研究結果を報じた内容で、こんな面白いニュースを見逃していたのが俺自身、口惜しい思いでもあるのだが、それを受けて、今日は書いてみようと思う。


 そのニュースとは、オナニーを多くする人は、前立腺がんにかかる危険が低くなるとの研究結果が報告された、と言うものである。
もう少し詳しく書けば、メルボルンにあるヴィクトリアがん研究所のグラハム・ガイルズ博士は94年から98年にかけて、男性1079人の前立腺がん患者と正常な1259人を対象に調査を行ったところ、週に5回以上射精する習慣のある被験者が癌になる確率が、通常の1/3であるという結果を英国の科学専門誌「ニューサイエンティスト」のインターネット版に発表したと言う事だ。
セックスで射精した場合の臨床結果は出していないが、オナニー自体の癌予防効果を博士は断言している。


 考えてみれば、オナニーと言う行為自体は、男女を問わずほぼ、日常的に行われる行為であるにも関わらず、妙な背徳感等を伴っており、なんだかしてはいけない事の様に捉えられてきた。
俺自身、覚え立ての時は行為をする毎に罪悪感に囚われていたし、読者諸君の中にも、「オナニーなんぞすると莫迦になる」だとか言われた事がある人も多いだろう。


 オナニーの語源の話でも、その背徳、罪悪が描かれている。
もともと、この言葉は旧約聖書の創世記第38章に出てくるオナンと言う人物に由来している。
簡単に書けば、子を為す事無く他界した兄に替わって、兄嫁を抱けと神に命じられたオナンが、罪悪感故に結局、外出し(膣外射精)をし、その事を怒った神はオナンを雷で打って殺してしまう。
この、外出しが転じてオナニーになった訳だ。


 この逸話こそが、現在でも何処か、オナニーという行為が罪悪感や背徳感を感じさせるものである事の起因となっているように思えて仕方がない。
そもそも、キリスト教では種を残す事を目的とする以外の性行為を禁止されている。
言い換えれば、セックスは子孫を残す手段でしかなく、精液はそのためにのみ出されなければならず、優秀な民族(ユダヤ)の後継者を残す為の貴重な精液を無駄遣いする事を禁止した。それが神の意志であるのだ。
それが転じて禁欲主義となったりしているという訳だ。


 明治時代の文明開化以降、本格的に日本に流入してきたキリスト教文化は、同時にこれらの様な価値観も含んでいた。
昔の日本では性的に鷹揚であった−例えば夜這いなどが半ば当然の様に行われて居たり、浴場などでは混浴が当然であった事など−が、キリスト教的価値観はそれらの風習を前近代的、野蛮などと蔑視すると同時に禁止し、そして結果、廃れて行く事になる。
オナニーにもまた同様の事が言えて、流石にこれはやめる人が居なかったものの、貼られた背徳感はなかなか拭われる事は無かったと言う訳である。


 日本だけに留まらず、海外の、特にキリスト教圏などでもこのニュースは大きな意味を為す事だろうと思う。
やはり、今まで害毒と捉えられたものが一転、癌に対して有効であると解った訳だから。
勿論、何事にも分相応と言う事があって、しすぎは逆に悪影響を及ぼしかねないだろう。しかし少なくとも、明確な理由によって害であると言う事は退けられた。
当然、出来ればセックスする方が良いけれど、セックスはオナニーに対して大きく体力を消費するものでもあるし、また、両者の合意が必要であるものだ。その意味からすればオナニーをする方が、時に健康的であるとさえ言える。


 性欲自体は人間誰しもが抱くものである。
性欲の昇華の際に自分勝手に他者の意を無視したり、尊厳を愚弄したり、或いは法を犯す事は罪であり悪であるが、性欲を抱いたり、自分一人で処理したり、合意の元に昇華する事自体は、悪でも害でも恥でも無い。
その事を俺達は改めて覚えておくべきだろう。


 つう事で、長くなったし眠くなったからオナニーして寝るよ!
みんなもオナニーしろよ。
いや、別に強制でも無いし、相手がいりゃあそれに越した事は無いのだが。