裁判員制度について俺思う。君は?

 匿名メールにて、「裁判員制度をどう思う?」と言う問いかけがあった。
いつもそう言う問いかけは無いので、嬉々として、その問いについて考え、そして俺はこう思うと言う事を書いてみようと思う。
あと、どうせならこれを読んでいる諸君、それぞれも考えて思うが侭を投稿して欲しい。
メモ帳に書いたのをコピーして、書き込み欄に貼り付ける方が色々とやりやすいよ。
一応、一回あたりの投稿は400字程度が目安かな。長くなったら適宜分割して。
改行は半角で<BR>と入れると出来ますよ。


 まず、裁判員制度とは何か、と言う事を軽く説明しておこう。
要は、アメリカなどの陪審員制度と似たようなもんで、裁判に市民が参加する制度。
ある犯罪の判決について、裁判官だけじゃなくて、選出された市民も意見を言ったり、刑罰の量定を行う。
もし興味があったら、三谷幸喜原作・中原俊監督の映画「12人の優しい日本人」を見てみると良いだろう。いや、別に本来の原作の「12人の怒れる男」でも良いんだけど、身近さ等から言ったらこっちかな、と。おもしろかったしね。


 で、こっから俺の思う事な。


 この制度の、一番のメリットは、今までは極めてクローズドなものであった法廷に、一般市民の意見を採り入れる事で風通しを良くさせる事が出来ると言う点にあると思う。
現在でも、行われた犯罪に対して下された判決が軽すぎる、と言う事が多い。
それは、一つには参照する刑法などの法律そのものが古く、「この犯罪には大体これくらいの刑罰」とされたものが今では軽くなってしまっているという現状がある。
そして、もう一つは裁判官の思惑と市民、或いは社会的なものとのギャップによるもの。
この溝を、裁判員制度は埋める事が出来るのではないかと言う期待はある。


 もう一つメリットは、この制度が浸透すれば、法律に対しての意識が強く成らざるを得ない、と言う点である。
今では、やはりどこか、遠い世界のお話じみた法律の事。
単に俺は、法学部にいたからこそ、法律用語にも抵抗感は無いが、そうではなかったらやはり、訳わかんねーとか言ってただろう。
身近であるか、或いは接する必要があるかどうかで意識という物は変わらざるを得ない。
もし、この制度がゆくゆくは身近な物となって、誰もが裁判員となった経験を持つ程度のレベルにまでなれば、当然、法律に対する知識や意識なども変わるだろう。
また、この制度を機能させて行く為には中学校や高校などで、基本的な法律について教える必要性が出てくる。
法律は知っていれば知っているだけ、得をするシステムになっている。法律は本来、誰でも恩恵を享受出来るものだが、現状として知る者と知らざる者との差は大きい。その差を、縮める事に貢献するんじゃないかな、と。
但し、この制度が犯罪率の低下に繋がるかどうか、と言う点については懐疑的だと言う事も付記しておく。


 では、今度はこの制度のデメリットなどを論じてみる。
そもそも、日本では議論というものが成立しにくい土壌がある。それは最早、国民的土壌と言っても差し支えない位だろう。
「和を以て尊しと為す」事が美徳として存在し、他者との争いを基本的に、表面的に避ける傾向が強い国民性。
そう言った中で、果たして有効な議論が行われるものだろうか。恐らくは、おずおずとしか語らない者ばかりだったり、或いは、強い意見を持つものに振り回されたり、裁判官の意見に追随するだけ、と言う人が多いのではないだろうか。
それを解決するには、例えばチャットみたいなシステムの導入も悪くないと思う。
ほれ、匿名になると態度がでかくなる人って多いみたいだし。対面式の場所では、物怖じして尻込みしてしまいがちにもなるだろうが、各自完全個室で、顔を分からなくさせて、ボイスフィルターか何か通して議論させる。
こうすれば、ちょっとは本音による議論を推進させる事が可能なんじゃないかな。


 そしてもう一つは、感情論の先行だ。
そもそも、しばしば裁判の際に参考とされる国民的感情などと言うものも一つの感情論だし、それに俺達の論理の奥深くにあるものは何かしらの感情だろう。幾ら論理的に、と言ってもその奥に原因となる感情があるとしたら、感情論を入れるな、と言う事自体が不可能となる。
だが、それがあまりにも強く作用する事も多いのではないか。
単に人が殺されてかわいそうだから、等と言う理由のみで重い判決を支持する訳には行かない。奥にある様々な理由なども(かんが)みられてはじめて、下される判決がある。
裁判員には、自分が何故、この程度の判決が妥当と思うかと言う事をちゃんと説明出来るレベルは欲しい。ワイドショウで騒いでるから、とか、人を沢山殺してるから、とかって程度では参考にすらならん。


 これらの点から、俺の裁判員制度について思う事をまとめると。
7割くらい賛成かな。否定はしないが賛同もし難いと言うのが現状。
ただ、それでも大きいと思えるのは、閉塞的な法律の世界に、一般市民を参加させる事で風を通す事が出来ると言う点だ。
裁判官の中には、専門的になりすぎて一般社会との乖離が目立つ人も、少なくはない。
言い換えれば、オタク的になりすぎてしまって、一般の感覚が分からなくなっている人も居ると言う事だ。
そう言う人の出す判決がどういうものかは、言わなくても分かるでしょう。
基本的に、法律は判例主義で、それはマニュアル主義とも半ば等号で結ばれるようなものなのだけれども、でも実際にはマニュアルで総てが片づくものでも無い。
アドリブなどが必要とされる事も多々、あるだろう。そう言う時に、一般市民の参加は大きな(くさび)と成り得るんじゃないかな、と思うのだ。


 俺が今、述べた事はあくまでも、俺が考えた事。
それに対して異論がある人も居るだろうし、また、賛同する人、この制度自体について考えがある人も居る事だろう。
そう言うのを、ゴリゴリと書いて欲しい。
色々な人が考え、そして色々な人の言葉を聞く事に意味がある。俺はそう、思うからね。