なぜ売春は悪か その弐

 前回の続き。
さて、これから何故売春は悪なのかと言う事について論じてみたいと思う。


 売春婦は世界最古の職業の一つ、と言われている。それくらい昔からあったものだ。
聖書にはマグダラのマリアの話もある事だし、少なくとも二千年以上は存在するものだろう。
また、昔は売春は女だけでなく、男もまた買われる側として存在していた。古代ローマや、塩漬けとなった都ソドムとゴモラの話を出す必要は、無いだろう程に普遍的なものであったと思われる。
にも関わらず、悪とされるのは、一つには宗教的倫理観が関わって来るだろう。


 特に、ユダヤから連なる宗教=キリスト教イスラム教などでは、姦淫が悪とされている。その他の宗教でも、積極的に良しとしているものってあまり無いんじゃないかな。
姦淫が悪ならばそれを生業とする売春婦も悪である。
では何故、宗教上悪徳とされているか。
一節には、子孫存続の為の大切な子種を無駄遣いしないように、と言う思想から、やがてエスカレートし姦淫自体の禁止となったと言うものがあるが、俺は、狩猟から農耕へと文明が至るにつれ、富の概念が出来た事と関係があるのではないかと思っている。


 定住し農耕し、貯蓄する事で富と言う概念が成立する。
その家にある富を放っておいて出掛ける訳にも行かない。留守の間に盗まれては困るからね。
すると、家に誰か居て守らなくてはならない。労働力の関係上、男は外に出て労働し、富を作る事に向いている以上、女が家に居て富を守る事になった。
これが、男は外に出て稼ぐもの、女は家に居て守るものと言う概念の成立で、やがては家父長制度へと移行するものだろう。


 近代以降、家父長制は緊密な家族制度の維持が目的となったが、その際に貞操という概念が重要視され、婚姻以外のセックスは不純とされた。
だが、純潔と言う概念はそのまま、女の性の抑圧を生じさせた。同時に、男の方も貞操や純潔と言葉にしながらも、一方でフリーセックスを求めると言う矛盾が生じる事となった。
今でも尚残る、処女信仰などはこれらが要因であるだろう。


 恐らく、売春が日本国内で悪と論じられるようになったのは明治以降の近代ではないかと俺は推察するのだが、それも上述した家父長制の徹底=富国強兵政策の結果であるだろう。
事実、江戸時代までは日本には各地に遊郭が存在したし、性文化そのもので見ても非常に気風は自由であったと思われる。
と、言う事は逆に言えば、売春=悪なんて論理が成立したのは、日本で言えばここ100年程度でしか無い。
そして、家父長制が崩壊して来ると、今度は人権という観点からの売春=悪論理が出てくるのだ。


つうとこでまた続きは次回。すまん。
明日というか今日は朝から打ちに行かねばならんのよ。