売春は悪か−完結

 売春は悪か、と言う事を数夜に渡り書いてきて、書いている内に段々と混乱に陥ったり途中で「映像の世紀」に見入ったりしてるWacremaです。ハロにちわ。


 混乱、と書いたのは、考えれば考える程に、自分自身も既存の倫理と自分の思考とに矛盾があり、その二律背反*1こそ今尚、売春という問題やひいては性差に於ける問題となっている事だと思う。


 シンプルに、組み立てて行こう。
まず、最初からの命題であった売春=悪かと言う事だが、俺自身の思考として、それは悪ではないと思うのだ。
それは、各人が自己の意志に拠って行うのであれば、何ら道義的に反するものではない、と考えるからだ。
現在、俺達は資本主義という世界に生きている訳だが、資本主義では、主に労働によって賃金を得る。
その労働は、単純作業もあれば頭脳労働もあるし、肉体労働もある。生産に従事する人も居れば、サービスを提供しお金を貰う人もいる。
そして、その労働自体は、殆どの人が100%の満足を以て行って居る訳では無いだろう。言い換えれば、やりたくねーと思いつつ、労働時間の間は自分の肉体や精神を雇用元に買われている訳である。
売春に反対する人の論理として、人身売買に対する罪を問うものがあるが、正確には、自己の意志に基づくものは人身売買と定義出来ないのではないか。
自分の肉体を用いて性的サーヴィスを行う事が、果たして人身売買と言えるかどうか、と言う点がポイントで、それを言い出すと、俺が上述したように、企業などに属し労働する人達は多かれ少なかれ、人身売買を行って居ると言っても過言では無くなる。
人身売買と言う人は、労働に対しても言及すべきであって、売春の一点にだけ言及すべきではない。


 また、同様に性の商品化という視点も、俺には説得力を欠くものだと思える。
上述したように、資本主義社会に生きる以上、総てのものは商品化され得る。それは、最早避けられぬ宿命である。
その最中に於いて、性を商品化するなと言うのは土台、無理がある。それに、勝手に商品化されるのと自分で商品化するのとでは全く意味合いが違ってくる。意志に反し勝手に商品化される事は責められて然りだが、自己決定によって商品としたならば、それは責められるものではない。
それに、商品化というならプロスポーツだって、肉体と技術を磨き商品化するようなものだろう。
「スポーツは高尚なものだから」と言うのであれば、では、何が高尚で何が下劣か、その根拠は何かという事になる。
そこに、明確に反論出来る人は恐らく、誰もいないのではないかとすら思う。


 なぜ、売春=悪と言う事が根強く人々の間にあるのは、一つには性的なものは未だにタブー意識が強い事、そしてもう一つは、売る側は女、買う側は男が多いという構造と、それに伴う性差別であるだろう。


 本来、セックスなどの性に関わる事はいい歳になれば誰だってするであろう事だし、極めて普遍的な事であるにも関わらず、既存の、半ば押しつけられた倫理観や道義が、性的なもの=罪深いものであるかのような印象を与える。
過去、オナニーをする事に罪悪感を抱いた人は決して少なくないだろうし、オナニーしすぎると莫迦になるとか、そう言った事を言われた人も多いだろう。また、こうした事、或いは話題を敢えて避ける人も居るだろう。
それこそが、倫理的な観点でタブーと視ている事の証である。
別にあけっぴろげにする事は無いが、かといって変に包み隠すものでもない。別に美しい行為でも無いが醜く汚い事でもない。
人々が、性に対して変な幻想を抱き、それがタブーを逆に呼び込んで居る様な気がしてならないのだ。
だとすれば、売春に限らず、性的なものに対して人々が普遍的にある事、取り立てて特別なものではない事を自覚する事なしには、タブー意識は拭いされないだろう。


 また、性差別に関しても、やはり既存の価値観=男は斯くあるもの、女は斯くあるものと言う決めつけがまず原因となっている。
男は女よりも強く、偉い物だという思いこみも、元々は過日記したように狩猟から農耕へと至った際に発生した考えだと俺は思っている。しかし、現代では富を女が守らなければ成らないと言う必要も薄れ、また、女自身が富を稼ぐ事も可能になった。
価値観が出来上がり、必要とされたシステムはとっくに機能を果たして無いにも関わらず、未だに残骸だけが有り難がられている事実がある。それが性差別では無いだろうか。
一般論として、男が買う側、女が売る側と言う事も、言い換えれば単に思い込んでいるだけかも知れない。
仮に、女が買う側に回る事が一般的になれば、男が買う側と言う事自体が崩れ去る。
今、そうではないのは単に、男の性欲が能動的、攻撃的なのに対し女の性欲が受動的である事が多いと言う事に過ぎない。
勿論、多いと言うだけで、それが逆転するケースだって往々にしてある事だろう。総てこの通りだ、なんて事はあり得ない。


 売春=悪と言う定義自体は、人々の考え方の問題と、それから権利の拡充によってどうとでも変わり得る。
俺が提案したいのは、売春自体を国家によって管理する方法だ。公娼制なんて代物ではなく、もっと厳格なもの。
男女問わず本人の意志である事を確認し、定期的な健康診断と基礎教養などの試験を実施した上で免許を交付し、職能手当のある公務員扱いにする(嘱託扱いでも良いかも知れない)。そして、各地方自治体管轄の元で、国家によるサービス業と言う認識で営業を行う。建物も怪しげな所にあるのではなく、極普通に。
サービスを受けた客から得た金は一度各自治体の元に入ってから、給料として支払われる。額は決められた最低賃金を元に、技能や人気手当などを加味し支払う。こうする事で、なるべく違法な売春を防ぐ。
国家による、健全なサービスと人々に認知させる事で段階的に、人々から罪悪感やタブー意識を喪わせる。


 ただね。
仮にこうなった時に、俺の友達がその免許を取って性的サービス従事者になると言ったら、多分俺は止めると思う。
それが、俺が最初に記した、既存の倫理観に縛られた故の行動であり、思考と矛盾する所。
ひょっとしたら、その時には俺の意識自体も変わっているかも知れないのだけれど、今はそう思うんですよ。
実際に、俺が書いた事は俺が思っている事だし、嘘や良い格好しいで書いた事ではない。
けれども、こう思い、書いて置きながらその一方でそれに対して全く逆の事も思っていると言う矛盾。
この矛盾の存在こそが、冒頭で記したように性差別や売買春の問題を更に根深くしている。


追記 全然関係無いんですが、俺、一昨日(24日)がクリスマスだと思ってた。今年も。
…ええ、今年もって事は去年も、その前も思ってたって事です。

*1:二律背反とは、二つの矛盾する命題-定立と反定立、あるいは命題と反対命題-がどちらも明らかに証明されるような事。アンチノミーとも呼ばれる。