北海道と★印の相関関係・解明篇

 うい、横浜に戻ったよ。
そろそろ推察コメントも出尽くした感があるので、では、こないだ出した宿題(2004年1月13日の日記を参照)の答えを教えましょう。


 コメントを残してくれた人達は、その殆どが「五稜郭」がキーと成っているんじゃないか、と書いたね。
そう、五稜郭も星形である。
そして栗君が指摘したとおり、あそこは旧幕府軍を率いる元新撰組副長・土方歳三が最後まで戦い、そして果てた土地である。
その事を忘れ得ぬように、北海道の象徴としたのだろうか。


 残念ながら答えはそうではないのだ。
正式には北海道の紋章は、七芒星である。>>こちらの北海道の公式ページの一番下に、小さいながらも道章の画像が掲載されているので参考にして欲しい。また、俺の所のお絵かき掲示板にも画像を乗せたので、手っ取り早く見たい人は此方を参照のこと。
五芒星ならともかく、七芒星では五稜郭とは無関係になってしまう。
しかし、星と言う点では繋がっている。
では何の星か。


 答えは北辰(ほくしん)である。則ち、北極星。北斗とかポーラスター、とも呼ばれるね。
北海道の開拓がまだ始まったばかりの頃、開拓団は「北の極みの大地」を目指す際に、シンボルとしてその北辰の旗を掲げた。
船などには、紺地に朱で星が描かれ、その星の周りを白で縁取られたものが取り付けられたり、描かれたりしている。また、昔の北海道産を示すものには大抵、赤い星が描かれた。
現在、北海道の道章はそれと全く同じ色合いだが、それも当然昔の事を参考にしたからである。


 七芒(七稜)星と五芒星の違いは、明治中期にあったデザインの決定の際の意見の相違だという。
当初、道章は五芒案と七芒案とで見解が分かれていた。しかし、七芒はイメージが定着しずらい事や、既に海外からの影響で★印が一般的になっている事などが踏まえられ、五芒案が定着した。
開拓団が象徴として使っていた五芒星が道章として使用され、そして道章として使用されると開拓団や企業などが五芒星をトレードマークとして使うと言うサイクルで、北海道=星というのが定着した。
だから、古い建物などに残されている星は朱いのだ。
因みに、現在の道章が七芒なのは、その昔の、一度棄却したデザインを復古させたからである。現代では、★というのはアメリカ的なイメージを匂わせる為に、敢えて七芒にしたと思われる。


 以上が、北海道と星印の相関関係の由来だ。
正解者は春来さんだね。間宮林蔵は面白い所はついたと思う。
伊能忠敬が地図を作る際に星印を使用したのだが、その弟子である間宮林蔵樺太、千島探検の際に星印を使った事は想像に難くない。正解とは無関係なのだが。
因みに、五稜郭が五芒星の形をしているのは、軍略上の構造故である。
突点に砲台を設置する事で、クロスファイアポイント(集中砲火を浴びせる事が出来る地点)を増やすため。こういう形だと、防御する際には強みを発揮する。突点が多すぎては、逆にそこに人員を取られてしまうので、あまり多くても意味が無い。だから五芒星なのよ。


 尚、俺は当初、建物の設計者がアメリカ人だから、記念に星を建物に入れてたのかなと思ったのよ。
けど、建物だけではなくて他の物にもある事に気が付いて、アメリカ説は違うかな、と。
で、北斗七星かなと思った。でもよく考えれば北斗七星をイメージするならそのまま、柄杓の形に星を置いたものをイメージにするよなあ。
微妙に発想がずれてる俺。つうかパチスロ北斗の拳」の影響受けすぎ。