伊東市の、成人式で暴れた奴らに対して告訴について

 ちょっと前の話にはなるのだが、成人式が各地で行われ、そして今年も亦、素行の悪い者共が悪さして問題にになった。
で、静岡の伊東市の場合は、市がその悪さに対し告訴を行った。
こちらで詳細。PCでこの日記を見て居る方はリンク先の動画も是非、ご覧戴きたい。


 うーむ、笑う。笑うなあ。
要は、子供達の悪さに対して毅然とした行動を取ろうとした市側に対し、事の重大さに気が付いた親、決して当の本人たる子供ではなく、親が慌てふためいて何とか刑事告訴を取りやめて貰わんとした、と言う事だろう。
慌てちゃって日本語が良く使えてない御仁も居られるようだし。
しかし、当の本人達は謝ると言うよりは寧ろ、ふて腐れ偉そうにふんぞり返っていたりするのだが。


 親の、気持ちは分からない訳じゃない。けれど、これは「悪い事をしたら法で裁かれる」という因果関係を教えるのに、また知らしめるのに良い機会だと思うし、それが極めて普通の事だと思う。
コメントの中には、「無学な親が出て来たんだから勘弁しろ」などと言うお門違いなものもあるが、無学だからどうと言う事ではない。それに、謝っている親が裁かれる訳ではないのだ。


 勘違いされやすいのは、これは子供に対してけじめをつけさせるようなものではなく、日本が、立法国家として法律を遵守して成立している国家である以上、法に触れるものは法で裁かれなくてはならんつう話。
反省し、謝る事は重要だが、告訴された以上はそれで則ち罪が弁済される訳でもない。その情状を酌み取り量るのは裁判官。


 つうかさ、これ単に親だけが慌てているだけじゃなくて?
子供の方は謝りたいって感じでも無いしさ。第一、肝心の子供のコメントも無いでしょう。
だったら、そのまま刑事告訴して犯罪者を逮捕してしまえば良いじゃない。件の会見の時にも、眼前にその犯罪者達が居た訳だから、逮捕しても良かったのにね。


 人間の精神年齢の低下をこのところ肌で感じるが、この砂利共もそうだし、親も大人としてなりきれていない気がする。
まあ、ついこないだまで高校生だった訳だから、まだ親も子供も、ガキ気分が抜けないのは分からないでもないけれど、でも親は子供が悪さしたらその事を叱るべきだと思うし、ガキも何時までも何をしても赦される訳では無い事を、成長するに従って学習していかなければならない。
だが、それが為し得られず、結果として図体ばかりデカいものの中身はガキそのもの、と言う人間が多いのではないだろうか。
犯罪に至らずとも、他人の迷惑省みずに振る舞う輩然り、他人の気持ちを配慮せず自己中心的でいる者然り。
電車の中で大声で電話する者もいたり、酒の勢いで他人に絡んでみたり、諸君も周りを見渡せば、案外と多く見受けられるのではないだろうか。
そして、いざ斯様な事態となると、そう言う人達は逆切れするか甘えるか。幼いと言う言葉以外何者でもないだろう。


 色々と逡巡はしただろうが、伊東市のこの判断を俺は英断だと思う。
今は個人主義全盛だが、時としてやはり、公と私と言う区別を付けて然るべきで、どこまでも自分の庭先のような感覚でいてはならない。
奉公滅私、つう考え方は大嫌いだが、それでも、時に私を下げる必要は確固としてある。
たかが成人式、と思っているのかも知れないが、そこはやはり私では無く公の場であり、その公の場で勝手な事をしていれば場合によっては罪に触れ逮捕される事もある、と言う事を砂利共のみならず、所謂大人と言う人達も改めて考えるべきだと思う。


追記 つうかさー。これアメリカとかなら即、銃殺されてもおかしくないよ。要人狙ったテロと見なされてもおかしくない。
それに、この暴れている光景見ると、1960年の社会党委員長・浅沼稲二郎暗殺のシーンとかぶるんだよね。
前にも書いたかも知れないが、暗殺したのは若干17歳の右翼少年。
俺はこういったテロリズムを断固許さんと言う主張を持ってはいるけれど、でも、17歳の少年は思想的見地から凶行に走り、方や、20歳で乱痴気騒ぎの果て。
幼稚だよな。同時に、何だかなあ。そう思わざるを得ない。