春、来たれり

 ここ数日の、まるで真冬に戻ったような寒さを経て、漸く再び暖かな日々となった。
咲きかけていた桜の蕾もその寒さで身を縮めて居たが、たった数日なのに、否、厳密に言えばたった数時間なのに花は開き、街にはうっすらと、桜の香が匂っている。


 春の目覚め。


 啓蟄を過ぎ、花開くと春はもう来ている。
そして、虫が穴から這いだし、様々な動物が冬眠から醒めるのと同様に、また別の、様々なものも現れる。
暴走族であったりとか。エキセントリックな人であったりとか。


 暴走族はまだ、分かるんですよ。冬はバイク乗ると寒いからね。
尤も、「根性」とかそう言う言葉が好きそうなのに真冬にバイクに乗る根性が無いのは甚だ疑問ではあるし、且つ、お笑い草だが。
ああ。そうか。一瞬の根性なら大丈夫だが、続くと駄目って事か。


 そんな事よりも、どうして春になると頭が芽吹く人が増えるのかが疑問である。
実際に、冬場は電車の中やホーム、また街を歩いていてもそう言う人と遭遇する確率てあまり多くない。
無論、これは俺のケースであるから、それを、基準値、絶対値とするのもどうかと思うし、地域などでも差異はあるだろうけれども、諸君自身の経験と照らし合わせても、冬よりも春の方が、遭遇率は高いのではないか。


 春になると、脳内で何らかの作用が働いて、電車の中で次に止まる駅を一々高らかに宣言したり、奇声を上げながら町中を駆け抜けたり、兎角、近づき難いオーラを放つのだろうか。
考えてみれば不思議と、春から冬にかけてそう言った類の行動は次第になりを潜め、そして春になると再び、芽吹くような気がする。
生物は、春から夏にかけてが一番生命力に溢れ、活動的になり、そして秋から冬にかけて生命力は停滞の方向へと至る。
先程は「脳内で」と言う発言をしたが、他の動物と同じように彼らの言動は生命力そのものを表しているのだろうか。


 今日は三日月。春の宵。
七分咲きの夜桜の向こうにクリーム色の月の船。
うん、いいね、と思っていたら。
何台ものバイクの爆音が通り過ぎ、それとまた別に奇声を発す男が何か棒のような物を持って、桜並木の一本一本を叩いて居るものだから。
全く興醒め、風情が無えなと、踵を返して逃げつつ思った次第。