愚鈍な珍獣に腹を立てつ、アークヒルズの事も考える

 それは、俺がエレベーターに乗っている時の事だった。
一番奥に俺、そしてその真横にベビーカーを伴った若い女性、更に別の乗客が数人。混雑の度合いは8割。
ある階で停止すると、初老の小男、兄弟と思われる年齢22歳前後の若者の男二人、そして変な髪型をした赤子を抱いた、そのどちらかの妻と思しき若い女の計5人家族が乗り込もうとした。
恐らく赤子の父であろう、若い男が「人いっぱいで乗れねえよ!」と言いながらも強引に人を押し、彼らは何とかエレベーターに乗り込んだ。


 この時点で、「一本待つなり、エスカレーターに乗るなりすりゃあ良いじゃねえか」と俺は思っていたのだが、次の階に着き、エレベータの扉が開いた所で事は起こった。
俺の隣に居た、ベビーカーを伴った若い女性が「降ります」と声を上げ、降りようとした。
俺は真横に居たので避ける必要は皆無であったが、扉付近は前述の5人組−訂正しよう、5頭−が固まっている。


 普通の人間なら、一度扉の外に出て道を開けるだろう。だが、あれらは微動だにする事無く、唯、扉の前を塞いでいる。
降りられない事に苛立った女性が、やや大きめの声で「降りるんですけど!」と言うと、先に人を押し乗り込んできた若い男が、「降りるんですけどぉ?!」と逆切れ気味に言葉を反芻し、女性に睨みかけた。
そして、あれら一家は尚も微動だにせず、女性は半ば強引に、ベビーカーを突撃させながらエレベーターを降りて行った。
扉が閉まった後も、男は家族に対し「降りるんですけどぉ、だと!」などと不平を垂れていた。


 その様子を、何か質の低いコントでも見るような、または狐につままれたような面持ちで暫く見ていて、「なんだろう、この珍獣は?」と非常に不可思議な気分であったのだが、やがてその気分は、「ムカついた」程度のものではなく、そう、怒りとか、殺してぇーとか、それ程強い他人を否定する感情へと至っていた。
ま、口だけなら何とでも言えるのではあるが、恐らく世が世なら切り捨てて居ただろう。
我ながら、こりゃファシズムだな、と頭を掻く。


 俺が中でも信じがたいと思ったのは、家族総出でありながら、「ちょっと道を開けろ」と促す訳でもなくマネキンのように棒立ちする若者達の父親と、ベビーカーを伴った女性と同じ立場に居る、言い換えれば似たような体験を共有する筈である「子供を連れた女性」でありながらも、夫たちを注意する所か自らもまた扉の前に立ち塞がり退こうとしなかった女の事だった。
どいつもが、自らばかりを中心に置いて、他者の都合を配慮する姿勢など皆無の生物であった。


 余りにも苛々したので予定外の階で「失礼乍ら、通して頂きたい」とその時の俺の出来る最大の慇懃な言葉で声をかけ、かつ、一方でポケットに手を突っ込んだ侭、不躾にドカドカとブーツの底をわざとらしく鳴らしつつエレベーターを降り、階段を探した。
階段を歩きながら、多分、あんな奴らがいざ自分たちの事となると、声高に権利を叫んだり、または事故にあったりなどしたのなら責任をなすりつけたりするんだろうな、と思っていたら、ふと、先日アークヒルズで起こった回転ドアの事故と、それから波及している回転ドアへの風当たりを思い出した。


 痛ましい事故であるとは思う。それに、子供は往々にして大人の思考の埒外の行動をするものだ。
だから、一概に親ばかりを責めるのは筋違いだし、けれども同時に、致命的、絶対的なミスがある訳でもないのにビル所有者やメーカーを叩いたり、或いはそれらの間で責任のなすりあいをするのも不毛極まりないだろう。
駅のホームとかでもよく見受けられるけれど、危なさそうであったりするのならば、親は子供の手をきちんと繋いで置く必要がある。
にも関わらず、吾関せずと言わんばかりに放置したりしていて、それで事故にあったりした後でブーブー文句を言うのも、醜い。


 あの、アークヒルズで事故に遭った子供の親が一緒だとは言わない。あのビルのドアが完全に安全だったとも思わない。
けれど、全国で頻発したと言う事故の内の何%かは、あの珍獣たちや、駅で電車が近付いてきているにも関わらず子供を放っておくような親と同じような思考回路−果たして思考と呼んで良いのか甚だ疑問でもあるが−を持つ者達によるものなのではないか。


 また、更に掘り下げてみれば、雨の日に傘の先を真後ろに向けて持つようなのとか、電車の扉が開いたにも関わらず、塞ぐように立ちはだかるようなのとかもまた、似たような無神経と無思考によるものだ。
そう考えると、この困惑極まる傍迷惑は俺達の周りに蔓延している。
そして、この病理とも言えるような代物は、ありふれているからこそ正しがたい。
悪貨は良貨を駆逐するように。


追記 でも、俺の苛立ちの一番根深い所にあるものは、ベビーカーの女性を擁護する言動、あの珍獣に対して道を開けるよう指示する事を出来なかった自分自身の不甲斐なさ、絡まれたら厭だな、と言う自己保身に他ならないだろう。
駄犬に手を噛まれるのは厭だが、釈然としない思いがある。