嗤う「年金」

なんだか雨後の筍のように、続々と年金を払っていなかったと言う議員が判明している。
ソースはそれぞれでニュースサイトでも見れば解るだろう故に割愛。


 いや、(わら)う。嗤うなあ。
だって、年金のCMに起用されていた江角マキコに対してあれだけの事を言って置きながら、いざ己はと言ったら、と言う事でしょう。
将に目くそ鼻くそを笑う。


 もう一つ、嗤わせてもらったのが、釈明のコメントとして、殆どの議員が「制度上の不備」「構造上の欠陥」を論っている。
ついこないだまで、やれ自己責任だの何だの言っていた方々のコメントがこれですよ。
もし仮に、これが政治家ではなく、市井の人々が未加入であったら、彼らはさぞ得意げに叩くんでしょうね。


 この事を受け、年金の追納期間の延長を政府が検討へと動き始めた。
ま、つまりは今まではそうしたくても「そう言う約束事だから」と突っぱねていたのを、流石に国会議員までもが未加入だった、と言う事で尻に火がついたのだろう。
しかし一方で、「追納期間を延長すると、加入者の納付意欲に悪影響を及ぼすおそれもある」、と厚生労働省内では慎重な意見もある。


 年金制度改革、と、今の内閣は謳っている訳だが、その改革内容も実は納める側の視点に立ったものではなく、きつい言い方をすれば如何に国民から上手に搾取するか、と言う観点でしかなかったことがここでも頷ける。
如何に上手に、かつなるべく多くという事を考えれば、例えば上記の追納期間延長を認める事はメリットとして繋がるはずである。
納付意欲、と厚生労働省は言っているが「払いたくても払えない」ものに意欲が出る筈も無し。
また、何かしらの旨みがあるのなら兎も角、目減りする預金を誰がするというのだろうか。


 勿論、国民が国民をお互いに扶助すると言う意味合いでも、年金は重要であるだろう。
しかし、現時点のようなシステムではデメリットばかりが目立つ上に、現在のデフレ社会では家計を逼迫し、それが結果として未納を増やしている原因でもある。
例えば所得レベルに応じたスライド制での納付、それと物価レベルに応じたスライド制での配給など、そうしたバランスを取る事を議論もせずにやれ改革とは片腹痛い。


 良く引き合いに出されるけれど、北欧のように高い年金に見合う福祉レベルが保証されるのならば、結局は巡り巡って帰ってくる。だから、それは決して損ではない。
けれども、日本の場合のどこか不明瞭で、そして、何に使われるのか解らない、どうせ帰ってこないと言う不信感も根強い。
政府は、徒により多く徴収する事ばかりを考えるのではなく、如何に還元して行くかという視点をこそ持ってもらいたいし、そうでなくては困る。
また、それに伴って、例えば件の未納期間追納などに対する流動的な対応のあり方も必要となるだろう。


 ま、国会議員の方々も「制度上、構造上の不備」を我が身で以て知った訳ですから?
その教訓をこそ生かして欲しいものだと思うね。



 追記


 なんか羽田で頭に春が来ちゃったらしき人が大騒ぎして挙げ句、死んだでしょう。
黄金週間でテロを警戒していたにもかかわらず、羽田は結構なパニックになったと聞いた。
それって、結果として、警備がテロに対して何ら効果が無い事を如実にしめしたと思う。
孫子の兵法「その思わざる所に出ず」というのは、まあ基本中の基本ではあるのだが、そう簡単に想定されないような事を想定しておくのが危機管理、と言う事じゃあないのかなあ。
総て想定しなくても、とっかかりとなる事を想定しておくだけでかなり違うと思うんだけど。


 9-11の同時テロにしても、飛行機で突っ込むと言う事は想定出来なくても、ハイジャックを想定していれば話は変わったかも知れないし、この事件にしても、犯人がストレートに玄関から来るとは限らんだろう、と想定しておくだけで、後の一手は変わる。
また、重要なのは「起こらないようにする」事と同時に「起こったらどうするか」と言う事も考えておく事だろう。
特に、情報の伝達に関してね。