「女の子の誘拐報道」とマスコミの人権侵害

 ちょっと前に、千葉の47歳の職業不詳の男が近所の女の子を連れ去り、沖縄で捕まった事件あったじゃないすか。
俺もこのニュース見て、全く無粋極まりない、世の中からこういう男が一掃されたら良いのに、等と思っていた。
でも、このニュースの顛末を知ってる人、果たしてどれほど居るだろう。


 実は、偶々このニュースの粗筋が見える記事を発見した。
大凡は>>こちら を参照して頂きたい。
ま、種明かしをすると、実はこの男が短絡的且つ愚劣な動機で以て(かどわ)かした訳では無いらしい。


 どうやら、その女の子は家庭環境に複雑なものがあるらしく、事ある毎に家に帰りたくないが為に容疑者の元を訪れたり、また容疑者の会社に「助けて欲しい」と電話をしたりしていて、それを嫌がった女の子の祖父母らが警察に対し、「容疑者を捕まえろ」とか、「あの男の発言に耳を貸すな」などと言っていたらしい。
だから、容疑者が警察や児童相談所に対して相談を持ちかけても、けんもほろろに扱われたと言う。
その事は記事の中でも、「警察や相談所はあてにならない」として女の子自身が語っている。


 実際に、この容疑者がしたは「誘拐」という事だし、それ以外に捉えようがない。
それに、どうしても「保護者」という肩書きの信頼度は高く、故に警察などが保護者の話を信用した事も頷ける。
けれども、この事件自体の粗筋を俺が見つけなければ、俺は容疑者に対し「けしからん男」とずっと思った侭だっただろう。
まして、以前の職場の人間や、近所の人間は言う迄もない。


 俺は、例えば新潟で以前あったような、ああ言う類の短絡的で自己満足で低俗で弱い者しか狙えないような犯罪、それから犯罪を起こす人間も大嫌いで、極端な事を言えばそう言う奴らは酸素吸わないで欲しいんですよ。
でも、この事件に限っては、状況が違うじゃないですか。
俺は、なんだか大島弓子の話(すまん、題名は失念)や、ジャン・レノ主演の映画「レオン」を思い出したのだけれども、貴君らもちょっと想像して欲しい。
近所の顔見知り、いや、親戚の子でも良いだろう。そう言う子が、自分の所に助けを求めに来て、それを無視する事が出来るだろうか。
場合に拠っては虐待などが行われているかも知れない。心や体に深い傷を負っているのかも知れん。
けれども助けとなるべき相談所も警察も相手にしてくれない。将に孤立無援。
そうした状況下で、どんな行動が許されるだろうか。


 既に書いたけれども、拐かしという罪は罪。それ以外に方法は無かったのか、と言えば多分あるだろう。
法に背いたからには罰を受けねばならないだろう。それが法治国家であるのだから。
けどね。
この容疑者は、言ってみれば被害者でもある。そもそもが、この女の子の家庭に問題が無ければこんな事にはなっていなかっただろうからね。
そして、マスコミや警察からは一方的に変態扱いされて、後は梨の(つぶて)
後で詳しい状況が解っても、殆どのメディアでは過去の扱いを訂正する事もなく。


 この事こそが、マスコミによる人権侵害、或いは被害者の人権という、俺が大学時代にメインテーマの一つにしていた事。
人の印象ってのは、書かれ方一つで大きく変わるもので、「職業不詳」と書かれたらあまり信用の置けない人間という印象を受けてしまうし、また、>>こちらの記事では、動機として「可愛かったから連れて行った」などと、恰も動機が極めて短絡的で、不純なようにして書かれている。
そこにはある種の書き手によるバイアスがあって、いかにもそう言う事をしそうなイメージを作り、そしてそれをそのまま書いている。


 報道する側や警察官だって全能でも無ければ聖人でもない。寧ろ、俺達と同じように飯食って糞して、恋人欲しーなーと思ってみたり給料上がらねえかなと思ってる一般の人間。
だから間違いだって沢山あるだろう。
でもさ、自分たちが書いたものがどれだけの影響を世に与え、そして時に人間の一生を左右する事は認識されてしかるべきだし、間違いや、その後の状況の変化があったのなら例え僅かのスペースでも、それを伝えなければならないんじゃあないか?
犯罪者扱いしていたけど、どうも違うみたいです、と言うべきなんじゃあないか?


 松本サリン事件で、一番最初に犯人扱いされた河野義行さんと言う方が居るが、あの人もやっぱりこうしたマスコミによる甚大な被害を受けた人の一人である。(彼の遭遇した事を書いた小説「日本の黒い夏―冤罪・松本サリン事件」と言う本があるので興味がある方はご一読を。映画にもなったな。)
一度偏見を抱かれたらそれは恢復へと至るに大変な道のりを要し、まして、時間が経てば悪い印象しか残らない。
信頼を恢復させる為にはより早い手当が必要だ。
警察にしてもメディアにしても、口では「人権保護」とか言うけれども、結局は面子を重んじ雲散霧消。
そうじゃなくてよ、例え新聞の片隅にでも、警察のHPの1コーナーにでも、毎晩のニュースの一分でも、きちんとそう言う事を説明し、不必要に傷つけられた権利を恢復させる事は出来んのか。


 この事件に限った話じゃあないが、俺、実はあんまり人権て騒ぐの好きじゃないんですよ。
失礼な言い草かも知れないが、兎角、人権て言葉の裏に後ろ暗い利権が関わるし、そうでなくても何かこう、被害者意識猛々しい印象もある。。
だがよ、人権てものを無視して良いって訳じゃない。まして、不必要に、不当に傷つけられて良いってもんじゃない。
もし、そう言う事があったのなら、その傷つけられた人権は何としても恢復されて然るべきだし、傷つけた側はその恢復に全力を以て当たらねばならんだろう。
その為に、何か、出来ないものなんだろうか。
出来ないなんて言うのなら、日本はフランス革命からやりなおせ。人権なんて言葉使うの215年ほど早いわ。


追記 そして、本質である女の子の家庭の事、「助けを求める必要が出る」ほどの事情や、最近とみに多く見られる児童虐待などの事も忘れてはならん事だろう。
どうすれば虐待の連鎖を止める事が出来るか。そもそも、何が原因で起こるのか。
俺は子供居ないし、好きじゃないから無縁ではあるけれども、でもやはり、気になってしまう。
どうにか出来ねえもんか、と。