週刊誌のヌード写真掲載取りやめについて

 小学館週刊ポストで、今後、ヌード写真を掲載する事を自粛していくと言う。
ソースは>>こちら


 所謂、俺が言う「オヤジ系週刊誌」の類の一誌だが、この選択は英断だと思う。
以前から、日本では衆人の目のある所で斯様なヌードが露呈される事が多いと、欧米や国内の女性からの声があったが、これで少なくとも一誌は無くなる訳だ。


 こんな書き方すると、俺が如何にも女性のヌード見たくないみたいな捉えられ方になるけど、違うよ。
男として、女の裸は見たい(出来たら触りたい)に決まってんじゃん。
でも、TPOってものがあるでしょう。
だから俺もかねがね、こういった雑誌に裸を載せる意義を問うて来た。


 確かにね。有名人が裸になれば、どんな体してるんだろうって興味はある。
でもさ。只の裸写真じゃん。しかも申し訳程度に毛が見えるような。眼前の裸とは全く違う訳でしょう。
だから、見た所で正直嬉しいって事でもないし。あの程度の裸で欲情しちゃうようであるのなら、何というか、幸せ者だよなとすら思う。


 このソースの中では、「裸もニュース」などと頓珍漢なコメントが書いてあるが、惰性で載せてるような裸はニュースなどと言える様なものではなく、ごく一部の、しょうもない好色オヤジを釣る餌としてしか機能していないのではないか。
第一、そんなに裸見たければエロ本買えば良いじゃん。あっちなら、少なくとももっと扇情的な写真が多い事だし。
中途半端な裸なんぞ見せられても逆に困る。


 それに、同ソースにおいて、「ヘアヌードにもたれかかった雑誌作り」ってあるけど。
それでも本当に本作ってるて自負あるの?
そんならとっととエロ本作れば良いじゃんね。与太記事なんざ書かないでさ。
週刊誌には週刊誌しか出来ない事ってあるでしょう。同時に、エロはエロ本に任せれば良い。
これこそ虻蜂取らずと言うものよ。週刊誌であるなら、記事で勝負すればいい。


 しかし、所謂娯楽としての裸はどうなんだ、と言う反論もあるだろう。
それがそもそも間違ってる。先程も述べたが、衆人の目の有る所で裸見ようって方がおかしい。
普通、満員電車の中で、無修正の、なんか見えてるようなエロ本を開く事が出来るか。
殆どの人は出来ないと思うし、出来たとしても、何かしらの恥ずかしさは抱くだろう。
それが、倫理観によるものだと思うんですよ。「こういう事したらいけない」って思わせるもの。
エロ本だと抵抗感はあるけど、雑誌のグラビアなら大丈夫って神経は、良く考えれば何処か麻痺している証だ。
まして、娯楽としてそれを求める人は言わずもがな。
娯楽としてエロを楽しみにしているならば、一人だけの空間などで楽しめば良い。それを公共の場にまで持ち込む事なく、ね。


 ま、週刊ポストがやめたから、と言って他誌が追随するとは思えない。
しかし、これが一石となって、他の週刊誌にも波紋を起こし、裸一掃となって完全に、週刊誌とエロ本の棲み分けが出来る様になると良いなとは思っている。
その棲み分けが出来る様になる事で、前述の倫理観がより、各人の中に生きてくるとすら、思えるからだ。


 倫理観は、主に宗教的倫理を背景とする。
しかし、主立った宗教を持たない現代の日本人にとっては、最早、他人の目を気にするという社会的なものでしか倫理観を確立し得ないのではないか。
モラリスムの荒廃と、他人を気にしなくなる事は、決して無縁ではない。
もし仮に、週刊誌から裸が一掃された事で、満員電車の中でも平気でエロ本読む輩が増えるとしたら、俺は日本人の精神というものを高く評価しすぎていた事になるだろうし、恐らくはそこまで酷く成る事も無いんじゃないかな、と言う楽観もある。
そして、逆に言えば、今のように、公共という概念と個という概念が曖昧で居るようでは、いずれこの倫理観は崩れていくのではないか、と言う危惧もある。
その、倫理観を養い直す為にも、こういう棲み分けをする事が大事なんじゃないかと俺は思うのだ。


・追記
俺、正直週刊誌の裸写真なんてどうでも良いんだけど、もし、これ読んだ人で「あれは要るだろ」って人いたら、その理由教えて。
逆に、「要らん」て人も居たら返答プリーズ。