「死の壁」読了

 漸く「死の壁」(新潮新書) を読了。
いや、買ったのは出てすぐだったんだが何か一気呵成に売れてる様子を見て萎えたのと、本が何処かに行ってしまって見つからなかったから。


 まず印象を受けたのは、読みやすさ。
多分、一時間もあれば読了出来る人も居るんじゃないかしらん。
なんだけど、書いてある事の殆どは、俺が常日頃考えてる事と被っているので、残念ながら特に目新しいものを得るには至らなかった。
勿論、総てが総てという訳でもなく、例えば解剖学者ならではの観点で死体と相対す記述などは興味深いものだった。


 死というものについて、他の人がどれほど考えているかは解らんが、何だか俺は、結構考える事が多い。
当然ながら、俺は死んだ事が無いので想像するしかないのだけど。
そして何時も結論として出るのは、厳密な意味での死なんて死ぬ時にならんと解らん、と言う事だ。


 この本でも書かれている通り、俺達は必ず死ぬ定めにある。単に風の前の塵に同じ。
健康な時に病気の事を考えないのと同じように、普通は死ぬ事なんて想定したくないから、あまり考えないけれど、実は俺達の横には必ず死神が一緒に歩いている。
その死神が「じゃ、お前の番な」と鎌を振る時に、果たしてどれだけ納得し、未練を残さず逝く事が出来るか。
それは試験の前に沢山勉強して、「よし、これだけやったから」と、何処からでも来いと言う様な気持ちで臨めるか、それとも全然勉強してなくて、慌てて試験範囲聞いたりノートをコピーしたり、カンニングペーパーの作成にシャカリキになるか、の違いと言っても良いかも知れないね。


 どうせだったら、「バッチ来ーい」って方が良いでしょう。
それが、死を考える事、そして翻って生を考える事だと思う。Memento moriつうことね。
善く死ぬ為に、善く生きる事を考える。
その、考える為の一冊としてだったらこの本は良い契機となるかも知れない。
また、死というのはどうしても、ネガティブなイメージがあって、故に表立って語られ難いと言う事があるのだけれど、そうではなくて、皆が死について考え、そして語り合う為の契機としての事も、ほのかに期待する。
なんだけど、過大な期待は無用かと。ま、これは俺が元々持っていた考えと養老猛司の考えが似てたからかも知れないが。


 そんな事考えてたらふと、大黒摩季の「永遠の夢に向かって」って歌思い出したよ。
>>こちらクリックで全歌詞表示。
ま、これは恋の歌だけどさ。要はこういう事じゃねえの?
「善く生き、善く死ぬ」って事ってさ。