伊勢佐木町の産婦人科の事件から思う

 伊勢佐木町産婦人科で、中絶した胎児を違法投棄していた問題(ソースは>>ここ参照)の事を考えていた。
何せ、あの辺りは俺も通ったりする所で、故にあそこがどんな所かも解る。だから、最初は事件の報道を聞いても「あそこならしょうがねえよな」と醒めた面持ちでいた。
周りには風俗店が多く、また、路地を外れると様々な外国人が住んでいる雑多な匂いを漂わせる地域で、夜になればその色合いを更に色濃く醸し出す。
そんな界隈だから、裏稼業に精を出す医者が居てもおかしくはない。必要悪、と言うものですらあるだろう。
そして、その「悪」を生み出しているのは実は日本人であり、そして男そのものであるのだが、今はそこには深く言及はしない。


 俺がふと気になったのは、妊娠12週以上だと火葬、埋葬が必要で、それ以前は所謂医療廃棄物。
ヒトとゴミの分岐点がそこ。
医療廃棄物扱いは、解るんですよ。場合によっちゃあ肝炎などウイルス性のものに感染してるかも知れないし。
酷な感じはするけれど、でもしょうがない。


 ただね、じゃあヒトは何を以てヒトたり得るのか。
俺達がヒトとして存在する、その根元的な証は一体何なのだろうか。
自我の発達? 精神の芽生え?
それだと赤子はヒトに非ず。
なら精子卵子と結合した瞬間から?
でもそれは単にまだ、一個の細胞としか呼べない気もするし、精子卵子もその説をとればヒトのかけら。
少なくとも俺は、ヒトのかけらを毎晩のように無駄に殺してしまっている事となる。


 明確な答えを出すつもりは更々無いんだけど、でもやっぱり、俺達が、ヒトとして確固として存在するその境界の事が気になって仕方がない。
なんだか、いつの間にかヒトとなっていて、そしてある日を境にぶっつりとヒトで無くなる。
勿論、その境界が解ったからといってどうにでもなるものでも無いんだけどな。


 そんな事を考えつつ、軽めのご飯を作っていた。
余った野菜と焼きそばの麺があったので焼きそばを作り、あと頂いた、茹でたとうきびがあるので醤油を付けて焼きもろこし。
なんだか、お祭りの屋台みたい。


 そして、出来上がった代物を見てふと、思い立った。
ヒトがヒトたり得るのは、この料理と同じように、「出来上がり」と思った瞬間からじゃないかと。
人によっては料理してる間から既に「焼きそば」かも知れないし、出来上がって初めて「焼きそば」となるかも知れない。
ヒトがヒトたり得る境界は、個人の自覚と、そして他者の容認から始まるのではないか、と。
どうしても法律的に考えてしまうと何処かで線引きを必要とするけれども、でも、必ずしもそうでは無く、曖昧な境界もあるよな、うん。


追記 ここでは敢えて中絶の如何については問わない。了承されたし。