「遠野物語」とアイヌについて

 過日、俺の部屋大改装をしたという事は書いたが、本を移動させたりしてた時に、柳田国男の「遠野物語」が発掘された。
俺が読んだのは十代後半くらいだった気がするので、久々に読んで見た所、これがやっぱり面白い。
この年になり、色々な知識を新たに得た状態で読むと新鮮な発見がある。
まだ全部読んで居ないのだけど、俺が読んでいて気付いた事を徒然と記してみる。


 遠野物語とは、柳田国男が明治40年頃から岩手県中南部にある遠野市周辺で、民間信仰や伝説神話などを聴きまとめた異聞録である。
民俗学という学問のさきがけとも言えるもの。
ま、こう書くと堅苦しい感じだけれども、要は昔の物語。


 文中には度々アイヌ語が出てくるのだが、遠野、と言う地名も元々アイヌ語であるらしい。
湖を示すトーと言うアイヌ語、更にナイというアイヌ語が組み合わされ、略されてトーノとなり、漢字表記されると遠野となる訳だ。


 アイヌ、と言うと不勉強な俺のイメージでは、北海道固有の先住民族と言うものでしかなかった。
しかし、津軽海峡を渡り、青森を越え、少なくとも岩手の中南部にまでアイヌ語が浸透していると言う事は、単に交易があったからと言う事だけでは片が付かない。
勿論、言語は交易と共に伝播していくものではあるから、例えば日常会話の些細な所に言葉が残ると言う事はある。
けれども、地名となるには相応の理由があるものと俺は思っている。


 一番良い喩えが、「中華街」という言葉かな。
別に、「シナ町」とか「中国人街」と名付けても良い所を「中華」としているのは、単に住民である中国人達が自ら呼んでいた事にしか過ぎない。
簡単な事だが、自分たちの町の名前を呼ぶのには、自分たちに一番身近な言葉を用いて付ける訳で。
何か狙ってのことでも無い限り、日本にある町名に「Die Mondschein」とかは付けない。だって共同体の他の人が解らないんじゃ意味ないからね。


 そしてこの観点で「遠野」と言う地名を改めて考えてみると。
恐らく、アイヌの人達が住み着いて居たのではないかと推測される。
するとだね。
アイヌは北海道固有の先住民族、と言う概念(というよりは思いこみ)が覆され、ひょっとしたら、遠野以外でも東北近辺にごく普遍的に住んでいた人達なのでは無いか、とも推測される。
勿論、一番濃い血を受け継いで居るのは北海道に居住するアイヌの人達であるけれども、少なくとも、北海道だけに住んでいたという前提はあり得なくなるのだ。


 さらに展開していくと、ひょっとしたらアイヌとは北海道を中心に東北近辺までを居住分布としていた、倭人とはまた別の民族であったのでは無いかと推測される。
記紀*1において、東征の話は幾つか出てくるが、その中でも蝦夷(えみし)征伐の話は多い。
征夷大将軍」という言葉も、そもそもここから付けられたものだしね。
蝦夷とは、古代の大和政権の管理が及ばない地域の事を指し、そこに住む人々を「エミシ」と呼んでいた。当初は「毛人」の字が当てられていたが後に中央からの差別意識の強い影響で蝦夷と表記されるようになったもの。
勿論、蝦夷が一つの民族であったと言う乱暴な事は言わないが、幾つかの民族の事を指し、そしてその中にアイヌも入っていたと考えるのは自然であるだろう。
そして、その中で遠野地方に住み着いたアイヌもいた、とすれば別におかしな事でも無くなる。


 一部の人は「日本は単一民族だ」と言う論を展開し、またそんな事を公言していた政治家もいたけれども、こういう事考えてるとそれが如何におかしい事かを如実に晒す。
ま、俺もこうして考えるまで似たような事を思っては居た訳だからあまり偉そうには言えないが。


 と、こんな事を考えていた。
いやあ、面白いよ、遠野物語。古文体だから読み込むのに遅々としてしまうけども、それが逆にイメージを膨らませる。
クソ暑い中、ちょっと冷房の効いた茶店かなんかで息抜きとして読むに、今一番お勧めの本。


追記
この他にも、「異人」が人を攫う話が多く出て来るんだが、ひょっとしたらそれは釜石の辺りに難破した異邦人が山奥に住み着いて、人を拐かしてたのでは無いかと推察したりしてたが、それを書くのはまた機会を改め後に。