夏の太陽が心に陰を落とす

 父親の墓参りに行ってきた。
出掛けの当初、空をどんよりとした厚い雲が覆い、何ともはっきりとしない空模様であったものの、途中で花と酒を買って行ったら何時しか夏の青空。


 墓は、横浜のとある高台に位置している。
冬の晴れた日なら富士山も見える所で、この夏の日差しは確かに強いけれど、流れる雲は疾く、強く吹き抜ける風は膚の火照りを冷まし心地良い。
扇子で日差しを遮りながらふと、夏草の繁る急な傾斜を見下ろすと、真っ赤な百日紅が花を咲かせていた。


 たしか、あの時もこんな感じの暑い日で、幾らクーラーがあると言っても、俺は寝かせてある死骸がすぐに悪くなるのではないかと懸念していた覚えがある。
尤もその懸念は、大量のドライアイスを布団に入れる事で解消されていたのだったが。


 今日に限った事じゃないが、特に今日の様な日は「死ぬのは父親ではなく俺であるべきだったのではないか」と考えてしまう。
勿論、病気や怪我、寿命などで死に行く人とその立場を変わる事は出来ないし、また、「死すべき人間」などと考える事そのものも、してはならない行為であることは分かっている。
まして、自分でそんな事を決めてしまってはならない。他の人達に対して失礼千万だからね。


 けれど、考えて仕舞う事はしょうがない。
どうにも役に立たん、そしてしょうもない考えだとは分かって居るのだけれども。
大学を出て、無為徒食に博徒の真似事に精を出し、人を救う所か、手を差し伸べる事能わず。
自分が無価値だ、等とは思わないが、それでも対価として見るならば、俺が先に、とつい思って仕舞うのだ。


 落ち込んだりしている訳じゃない。
多分、この夏の強い太陽の光がセンチメンタルにさせるんだろう。
おかしいな、夏の太陽は人を開放的にさせる筈なのに。