子供観察日記

 家の電話が鳴る。
「Wac、水族館行こうぜ。俺達行って待ってるから。」
この待っているから、と言う一言が断る勢いを奪い去り、ほぼ寝てない侭に、クソ暑い最中に日曜でガチ混みの八景島に行く事になった。
電話を寄越した友人は、どうせ家族連れで出掛けるなら、俺や、別の友人も一緒に行けるような八景島が良いと思ったのだろう。
勿論その裏には、子供を俺達に預けておけると言う計算があるからなのだが。


 半年ぶりに挨拶を交わし早速、水族館に行こうとするとそこは人の群れ。とてもじゃないが入れやしない。
ま、遊園地だからふらついてれば良いだろうと思っていると、友人の子供はウルトラマンショーに機敏に反応。
まずはそれを観覧する事になった。


 友人一家は比較的よく見える位置に陣取ったが、その傍にはどう見ても家族連れじゃない、大きなおともだちも幾人か居るようであった。俺ともう一人の友人はそれと間違われないように少し離れた所で煙草を吸っていた。興味ゼロだし。
周りの家族が一斉に「うるとらまーん」などと大声を上げ呼んだりしているのを冷ややかに見つめ乍ら、俺にはあんな真似は到底出来んなと思っていたが、歓声に混じって聞こえてくるお話に、何やら「会社から持たされている携帯」だのと言っていて、逆に俺は「どんな話やねん」と気になる始末。
4和音くらいの着信メロディをイントロクイズのようにも使っていたりもしたのだが、一番笑ったのはウルトラマン登場後、大立ち回りを繰り広げた後に、悪の黒幕っぽい人から地球防衛軍?の人の携帯に電話があり、わざわざウルトラマンに替わらせて負け惜しみを言っていた所だった。
ウルトラマンに替われ」という黒幕の台詞も笑わせて貰ったが、「え、俺?」と自分を指差し電話を受け取るウルトラマンの姿に最早、威厳無し。
 だが、ショー終了後にウルトラマンが引き上げる際、併設されている特売コーナーの中に歩いて消えて行く事で、子供はウルトラマンを追ってコーナーの中に入り、親もまた入らざるを得ず、結果、かなりの人数の客を導いている所では、その阿漕さには思わずやるなと頷いた。


 暫しうろついて居ると、ガチャガチャと言われる、100円で小さなカプセルを販売する機械をやたらと置いた所に出くわした。総台数200と書いてある。
当然、子供はねだる訳で。一回だけ、と友人は100円を子供に渡し、俺は子供に連れられ吟味役と。
知らなかったけど、今色々な種類があるのね。
人気のアニメや漫画、料理のサンプル、「子供の科学」と題された、顕微鏡などが入ったシリーズ、乳首を薄紐一本で隠している人形。
え? と思い返しそのほぼ全裸の人形が出る機械を見ると、「対象年齢16歳以上」と書いてあった。子供の教育上宜しくないので手を引いて離れたが。
色々なものがあるな、うむ。


 小休止として喫茶店に入る。
子供は先程のガチャガチャや、貰ったウルトラマンのチラシを出して、絵を描き始めた。
この面子で絵と言えば俺の出番。
「お兄ちゃんにもピカチュウ書かしてや」とペンを借り描いたものの、ものすごい変な生物が出来上がって萎える。
汚名返上とばかりに、チラシ見ながらウルトラマン書いてやったところ上手上手と大受け。当たり前だ、見ながら描いてんだもの。
子供にペンを返して描く様を見ていると、面白い事に気が付いた。
俺たちのように、デッサンをとり肉付けしていくのではなく、カラータイマーなどから描き始めている。
それは恐らく、子供にとってそこが一番印象的な場所だからであるだろう。
子供が絵に投影するのは姿そのものではなく、最も印象的な部位であると言う事は、それが子供の視野の狭窄さを示すと言うよりは寧ろ、絵に描かれた部位の持つ影響力の大きさを示すと言うべきかも知れん。



 更に後、幾つかの乗り物などの乗ったりすれば、いつしか日は暮れ花火の時間。適当な所に陣取り、地べたに座りつつ小一時間程待つ事に。
俺はこれ幸いと地面に寝ころび午睡を取っていたが、ふと気づけば辺りは黒山の人だかり。皆スペースを詰めて座っている最中、俺は大の字で寝ている傍迷惑っ振り。些か俺の行いを恥つ、起きて居住まいを糺していると、周りも子供連れが多い事に気が付く。
ま、浮かれるとどうしても子供は騒ぐものらしく、親がそれを怒っているのを幾つも目にしたのだが、脳に障るような声で「静かにしろって言ってんだろおー!」とガナリ立てたり、「うるせえんだよ!ぐず!」などと言っていたのでは躾とはなるまい。
 子供を見れば親が分かる、と言うが、成る程、こうして親の程度というものは子供に伝播していくものなのだな。
蛙の子は蛙、と言う言葉がある。しかし子供は蛙になるのではない、蛙にされるのだ。
シモ−ヌ・ド・ボーヴォワールは「人は女に生まれるのではない、女になるのだ。社会において人間の雌がとっている形態を定めているのは生理的宿命、心理的宿命、経済的宿命のどれでもない。文明全体が、男と去勢者の中間物、つまり女と呼ばれるものを作り上げるのである」と、著作「第二の性」で延べたが、子供もまた、親の言動、躾、そう言ったものによって親と同じ様な人間になっていくものなのであろう。


 そして他の子供達と同様、友人の子供達もまた立って騒ごうとするので、「ほら、後ろを見てご覧、沢山人が居るね。立って騒ぐと、後ろのお客さんは見えないよね。だから、今は座って静かにしていよう」と手を引いて座らせる。子供であろうが大人であろうが、理によって導く事は重要なのだ。
まあ、ガチ混みの最中に大の字で寝ていた奴が言っても説得力は欠けるのだが。


 その後飯食ったりして解散、俺はその後ヘタレて就寝。
まとめ。
・子供は若い。
・子供の絵はその子供にとってどこが重要か、印象に残っているかを示唆している。
・躾には感情的な言葉や態度ではなく、理によるものが有効。
・ガチャガチャにはエロもある。
・最近のウルトラマンショーはなんか所帯じみている。
・俺、やっぱ子供苦手。
以上。