同時多発テロが齎したもの

 アメリ同時多発テロが起きてから3年の月日が流れた。
昨日は、幾つかのTV番組でも特集を組んでいて、俺もNHKスペシャルを見ていた。
3年前のあの日、新しい千年紀のまだ始まりであるにも関わらず、このような今までには無かった全く新しい惨劇が起こり、1900年代が戦争の世紀と呼ばれたのに対し、2000年代はこの後どうなるんだろうと言う不安を隠せずには居られなかった。
あの同時多発テロは、世界に何を齎したのだろうか。


 当時から「大義無き戦争」と言い続けて来た戦争は本当に「大量破壊兵器」など有りもしない、でっちあげられた戦争であった。米イラク調査グループ(ISG)のデビッド・ケイ前団長・前米中央情報局(CIA)特別顧問の、「明らかにここにいる私も含めて、われわれはほとんど間違っていた」「大規模な大量破壊兵器の貯蔵はない」と言う公式コメントがそれを一番物語っている。
そして、民主化推進とばかりに乗り込んだアメリカが現在も行っているのが、「武装勢力一掃」という名の無差別虐殺だ。
国の一般兵と違い、武装勢力はゲリラ的側面が強く、民間人との区別は付けられない。畢竟(ひっきょう)ゲリラの巻き添えとして一般人が多く犠牲になる訳だ。


 このような形でイラク国内のあちこちを空爆して行けば、自ずと民間人犠牲者の数は増え、アメリカに対し憎悪の炎を燃やす人も増えてくる。
また、自分たちが直接被害に遭っていなくても、そのアメリカのやり方に反発した結果、武装勢力やテロリストを応援、支援する人が増えてくるのは自明。同じ宗教を奉じるなどと共通点があれば尚更の事。
件のNHKスペシャルでは、テロリストの情報戦争というテーマで、テロリストたちが如何にして対米への怒りや憎悪を世界中に撒き散らすかを特集していたが、その様な働きも相まって、アメリカに対し新たな憎悪が生まれる。
その中でまた、使命感に燃えテロリズムに走る者が出たとて、おかしくはない。


 厄介なのは、かれらテロリスト、及び応援、支援する人々がアメリカだけではなく、アメリカに近い立場に居る国家、国民に対しても憎悪を抱き始めていると言う事である。
それは単に、無知と狂信が齎すものではあるのだが、それを説いた所で本質的な解決には到底至るまい。
先日、ロシアではチェチェン武装勢力によって学校が占拠され、そして多数の被害者を出すと言う哀しい事件が起こったが、それに類する事が反米武装勢力によって行われる可能性も決して否定出来ない。
そして何よりも、「テロを許さない」というキャンペーンの結果、物事の筋がすり替えられ−そう、ちょうどロシアのチェチェンに対する姿勢のように−、そしてそのキャンペーンに槍玉に挙げられた者同士が結託し、対立構造を形成する事が考えられる。


 また「アメリカに近い国」も狙われるかも知れないと言う得体の知れない恐怖感は、確実に人々に疑念を齎す。
欧州、日本もその例外ではなく、もし仮に、それらの国でテロが発生したとしたら、ほぼ間違い無くイスラム系の人による犯行と最初はみなすだろう。
後でそれは違う、と分かったとしても、居ないはずの黒幕や陰謀などを取り沙汰する事だろう。
その結果、イスラム系の人に対する弾圧や、更には発展して極端化した民族主義の再燃も考えられる。
となると、近年までのヨーロッパ統合などのグローバリゼーションの波が一転、内に内にと閉鎖的になっていく波が訪れる事も想定出来る。


 そう考えていくと、あの同時多発テロが齎したものとは、「不安と疑念」であったのかも知れない。
それはテロ当時だけで終わるかと言ったら寧ろ違い、その後の方なってじわじわと効いてきている。
そして、この疑念こそが新しい闘争を生み出すコアそのものである。
その意味を俺達は考えなければならない。
少なくとも、自分自身の平和で安穏とした日々を維持し続けて行く為に。
大きくは、なるべく世界が平和で居られる為に。


 と、言う事をキャラメルコーンをボリボリ食い乍ら考えてた。
キャラメルコーンて時々喰いたくなるよね。