「電車男」の本刊行、だってさ

 ニュースサイトをうろうろしてたら、こんなのを見付けた。
「2ちゃんねる」が生んだ文学、「電車男」22日刊行
かつて、ここでも「電車男」を紹介したことがあって(知らない人は>>こちらクリックすると往時の状況をご覧になれます)、俺自身もその話が真偽定かでないとはいえ、面白いと思った。


 だから、「面白いもの」を世に広めたいと言う事は分からないでもないが、どこかしら銭勘定の臭いがするのはどうしてだろう。
何よりも、この「電車男」の面白さは本人の状況も宛ら、周りに居る人間達の狼狽する様子や支援、それを流し読みする事だと思うんだけど。
書籍化することで、より一般に対し認知度を高める事は出来るだろうが、この掲示板の様子をそのまま活字にして売ったのであれば手抜きも良い所だし、かといって下手に編集すると面白さは一気に失せるものだと思うのだが。


 この「電車男」も然りながら、有名な「冬のソナタ」ブームの前後から、純愛ものに対する一種の渇望のようなものが見受けられるのだけど。
俺には純愛という定義が良く分からないのだが、もし禁欲的な恋愛を純愛と呼び、それを美徳としてもてはやすのなら、俺は「そっち側」には行かなくて結構。ピューリタンにでも任せておくわ。
だって好きならばこそ抱きたいと思うもの。性欲とはまた別の次元で、それを当然の感情であると俺は思っている。
その事が、例えば欲深だとか汚いとかに直結するものだとは断じて思わない。


 ここまで書いて気が付いたが、俺の、所謂「純愛もの」に対する一種の嫌悪感は、ともすれば過剰に上記の「当然の感情」をさも小汚い感情のように定義し、一方で禁欲的である事を美化する風潮そのものに対する嫌悪感なのかも知れないね。
無論、強欲であるのは醜悪だが、だからといって禁欲的であることが美しいとも思えない。
それは各個人の内に灯す価値基準、或いは道徳規範であって、人それぞれが美しいもの、崇高なものへと憧れる事を俺は肯定するけれども、社会的にそれを一般化してうだうだと言うものでは無い。ましてや煽って売る程の物でもない。
俺はそう、思うんだがね。