新潟中越地震とメディアの報道について

 新潟の地震が発生してから3日ほど経った。
当初の混乱も今は幾分か落ち着き始めているようで、ニュースの映像など見る限りでも、次第に食料などの物資が届きつつある事が嬉しい。


 相変わらずTVでは体育館などの避難キャンプを基地として映像を送り続けているようだが、正直、あのメディアもあんなに要らないんじゃないかと思えてくる。
現在、何処が通行出来て何処が通行出来ないのか、と言う事や義援金、救援物資の送付先、ボランティアの集合場所、そう言った諸々の「有用」たる情報が流されず、如何に現場が非道い状況か、如何に人々が苦しんでいるかを小綺麗な服装で報じられても。
中には、厚顔無恥、傲岸不遜な「業界人」も居て、俺がTVで見た限りでも友達が被害に遭い亡くなってしまった子に「どう思った?」などと訊いてみたり、「過疎地に住ませるとコストがかかるから、場合に拠っては権利を制限すべきだ(=要は、田舎なんかに住ませるとこんな感じで金が掛かる、強引に土地取り上げて引っ越させろと言う事」といけしゃあしゃあと訳知り顔で言っていた御仁も居られた。


 確かに、この地震にしても、台風にしても、その被害状況などを知る事が出来るのは彼らマスメディアの報道によるお陰だ。
被害地域に身内などが居られるなら、こういった状況を知る事が出来ると言うのは非常に有難い事でもあるだろう。
だが、その一方で「仕事だから」「「メディアだから」とあぐらをかき図々しい振る舞いを正当化出来るかと言えば、否。
家族や友人が命を落としている所に「どんな気持ちですか」など訊けるその神経。
プライバシーを保護する手段もなく、疲労も蓄積されているだろう避難所での生活を絶えず放送する配慮のなさ。
更に、これは俺個人が体験した訳では無いから真偽定かでは無いが、取材に行くのに自前の食料も持たず現地で避難してる方々に紛れ配給を受けていたり、また電池などを直前などで買い占めたりなどして顰蹙を買っているとも聞く。


 かつて阪神大震災の時、瓦礫の下にまだ人が埋まっているからと掘り起こしている人に対しぬけぬけとマイクを向け、「そんな事する前に手伝ってくれ」と言ったら逃げていったと言うTVクルーの話や、目の前で肉親が死んでいく様子を見ていたと言う人に対し、傷を抉る様な事を言い放ったと言う出版関係の人の話*1の事を思い出し、マスコミは何も教訓としていない事実を認識するに至る。
結局は対岸の火事、野次馬根性でしかなく、地震や台風などの災害で人が大変な目に遭っていると言う状況も、彼らマスコミや他の一部の人にとっては単なるエンターテイメントでしか無いとさえ言える。
勿論、そうではないマスコミの人達も居るだろうが、得てしてそう言う人達は少数派で、かつ零細であったり地方局であったりするのだろう。


 報道しなければならない事情は当然ある。
けれど、大挙して押しかけ、避難している人達の憔悴を更に促し、一様に不躾な言葉をぶつけ、「ここは大変」「悲惨」感を殊更強調しなくたって別に良いじゃないか。
それこそ報道協定か何かで人数制限したところで別に不都合はあるまい。
何よりも、何を聞くべきか、何を聞いたら拙いのか、何を情報として広めるか、それぐらいに分別くらいは付けてもらいたいと思うんだがね。
まあ、何よりも鬱陶しいのは、そう言ったメディアに頼らなければ情報が入らない事実そのものであるのだが。

*1:これらの話は当時ボランティアに行った友人から直接聞いた事を明記