任務:社会保険事務所を移転せよ

 諸君にお聞きしたいのだが、引っ越しする時に業者を呼ぶでしょう。
その際、何から何まで業者に丸投げするか。それとも、或る程度は自分たちで整理しておくか。
冷蔵庫の中の水を捨てておいたり、コピー機の中の紙などは抜いておいたり。そう言う事をするか否か。
それを少しだけ念頭に置いて読み進めて頂きたい。


 今回の任務は社会保険庁事務所の移転。
事務所移転は大きい荷物が多いし、怪我も多いし、非肉体労働派の俺はあまりしたくないのだけど、背に腹は代えられない。
渋々承諾すると、また「少佐」の役割をも担当する事になった。


 横浜市某所の駅前で集合し、点呼を取り現場に向かう。
事務所の前には既に一台の車が止まっており、中には年配の担当者らしき人がいる。挨拶をし作業の指示を頂こうとしたが、まだ搬入させる車が来ていないから待機しているように、と。
傭兵達を待機させること30分。作業開始時間は疾うに過ぎている。漸く、一台のトラックが到着したものの、尚作業が始まる気配は無い。
取り敢えず作業服をもらい、「あとで中で着替えてもらう」と言われたのでそのまま傭兵達に伝え、また暫し待機。
然る後に別のトラックが到着。中から出てきた若い男がこちらに来ると挨拶もなしに「とっとと着替えろや」と。
何様のつもりだ? とつい腹を立てたが、ま、詮方ない事だ。燕雀いずくんぞ鴻鵠の志を知らんや。
荷物は中に入れていいかと問えば「そこに置いとけ!」と。
公道に面した駐車場に荷物野ざらし。一応、各自に貴重品だけ持つよう指示し、着替えをさせて作業を開始。時間は予定開始時間を疾うに過ぎている。
つうか絶対この荷物、後で邪魔になるから片づけるように言われるんだぜ。


 作業を開始して5分後、案の定荷物を片づけるよう指示される。ほれ見たことか。
2人ほど手荷物を邪魔にならないよう部屋の片隅に搬入するように指示し、残りの人数を分割して配置。
エレベータの無い事務所の中から、ラベルの付いた順に机や椅子などを搬出していく。
書類などは既に箱詰めされているが、他のPCなどはそのまま残されているものもある。それらをいちいち梱包するのも仕事。
重いものは部下に任せ、軽いものをなるべく率先して作業する俺。ま、特権だね。
とはいえ、そればかりやってては部下の不満が高まるだろう故に敢えて重いものを手伝ったり、軽いものをやるように指示したりもする狡猾っぷり。


 冒頭で、諸君に引っ越しの際自分はどうするか、と問うた。
大方の人であれば、全て任せっきりにしないだろう。所がね。
この社会保険事務所ときたら、シュレッダーの中のゴミはそのまんま。ケーブルはまとめてない。つうか抜いてすら居ない。本当に最小限、書類や事務用品など箱詰めしてるだけって感じ。おまけに床は落としたクリップやゴミなどが散乱している。それも一つや二つじゃあない。至る所クリップだらけ。ここ、いつも掃除してんのか?
何事にせよ、物事の一面からは性質の本質を伺うことが出来るものだ。この事務所にしてもそう。
落としたクリップを拾わず、ゴミも捨てず、業者に丸投げ。多分、そう言う体質なんだろうね。流石叩かれてるだけの事はある。
実際、以前みなとみらいで行った事務所移転と比べても、整理整頓の度合いなど雲泥の差。


 その一方で、普段人が入れない休憩室なども片づける訳だが、凄いですよこれ。
和室8畳二間、20インチのテレビが2台、座卓、座布団完備。旅館の一部屋みたいになってる。泊まりで作業があると言う所ならともかく、ただの社会保険事務所でこれか。流石。
壁には「社会保険事務所は変わります!」などと書かれた紙があるけれど、その内容は「電話がなったらちゃんと出ます!」などと言う事が誇らしげに。お前それ当たり前の事じゃねえか。
更に別の紙には「当事務所はお昼も営業することになりました!」と。今まではお昼時は締めて業務してなかったけど、今度から(人少ないけど)やるよ!と言うことらしい。お前らイタリア人ですか。シェスタは欠かせませんでしたか。
流石、流石。今更乍らつっこみ所の多さに心の中で喝采


 作業を開始して約2時間、もうお昼ご飯の時間。開始が遅かったからずれ込むかなと思っていたが、そう言う事でもないらしい。
ただ、効率よく人員は配置したと思うし、作業速度も悪くはない。この分なら定時までに終わらせられるなと思っていたが。
運輸業者の連携が悪い。おかげで荷物を搬出したくても滞ることしきり。おまけに、作業の先が見えた夕方前になって大物が5つ。
3つは金庫、2つは業務用コピー機
コピー機なんて中ばらして、別々に運べば幾分か軽くなるのだけど、まとめて運ぼうとする。ま、上の言う事だから逆らわないけど。
それより問題は金庫。高さ150センチくらいはある耐火金庫だから、その重さたるや。
エレベータは無いので人力で降ろさねばならない。階段に毛布を敷き、金庫にロープを数本括り付け、金庫の下に4人、上に6人の十人体制で時間を掛けてゆっくりと降ろす。
かけ声を出しながら、数センチずつ降りていく金庫を見ていると、−ピラミッドってこうやって作ったんだな、いや、当時は丸木をコロにして石を運んでいたのだから、毛布を使ってる辺りで古代エジプトに負けている。そう言えば、日本では古代「車輪」というものは存在していなかった。歴史上初めて登場するのは平安初期だろうか−などとどうでも良い方向に思考が進む。


 階段はあまり広くはなく、どうしてもあぶれる人が出るので彼らを別の作業に従事するよう指示し、所謂事務用品の搬出の他はこの金庫とコピー機だけという状況だが如何せん、遅々として。上から放り投げる訳にも行かないし。
結局、残業90分。しかもこの日、帰り際に事務所に寄らないと数日に渡ってお金を貰う事が出来ないから皆、焦るものの時既に遅し。無駄な残業で金が増えるのは構わないが、それも時と場合による。
もし朝の無駄な時間が無ければ間に合っていた事を考えると余計に、ね。


 帰り際、人には天分と言うものがあるものだと思っていた。
単に体を酷使するのがいや、という訳だからではない。
人によって、体を使う事が得意な人も居れば頭を使う事が得意な人も居る。複雑な仕事を得意とする人もいれば単純な作業にこそ力を発揮する人も居る。それぞれに得手不得手はあり、そしてその得手の部分を伸ばし特化させる事こそがそれぞれにとっての「天職」というものになるのだろう。
俺の天分とは何だろうか。まあ、少なくとも只単に体を使うだけの事では無いだろうな。