任務:段ボールを製造せよ


「入るはずの人が抜けてしまって、どうかやってもらえないでしょうか」
そんな電話が掛かってきた過日の午後。仕事内容は倉庫内で箱を作ったり中身を詰めたりするだけの簡単な仕事である、と言う。
実際に、もう一人入る筈の相棒は女の子らしい。まあ、大した重労働では無い、との事だし、と仕事を請け負う。
指定された7時50分に川崎駅に集合し、落ち合った後に指定されたバスを探す。
最初、地上からバス停を目指したのだけど、どうも川崎のバス停は地下から行かないとならないらしい。目の前にバス停があるのに、と思いつつ遠回り。


 バスに揺られる事小一時間。決して混雑してはいないけれど、快速といった感じでも無く、また停留所に多く止まる為に思ったより時間が掛かる。会社からは50分始業、と言われてるので少し焦りを感じ始める。
それでも、8時ちょっと過ぎに乗ったバスはぎりぎり40分程度に到着、なんとか始業には間に合いそう。
バス停からクライアントに連絡を入れ、行き方を問うと「まっすぐ」と言うバカの答えが。
どの方向にまっすぐなのか問うと、「降りてまっすぐ」。一応、辺りのランドマークなども聞いた上で、バスの進行方向に暫し進むものの、該当するランドマークなど一向に見えない。怪訝に思って後ろを振り返った所、丁度立ち並ぶ倉庫の隙間から件のランドマークが。思いっきり逆じゃねえか。角度的に他の建物の影になっていて、ここまで歩いて来なければそのランドマークは視認出来なかったので、歩いてきて良かったと言えなくもないが、発端は説明不足である事を考えると先が思いやられる。


 それでもなんとか50分ぎりぎり。遅刻ではない。安堵しつつ挨拶をしに伺おうとすると、丁度通りかかったイジリー岡田に似た作業員が「派遣の人?」と人に指を差し訊いてきた。
挨拶をしたところ、「おせえよ!」と叱られる。しかし、始業は50分でしたよね、と問うと「始業は50分だけど集合は30分だ」と。訊いてねえぞ、そんなもん。
急いで準備をし、作業場に相棒と向かうと既に仕事を始めている人達が居たのだが、それを一度止めさせて朝礼。
「本当は同じ人が良かったのですが」と前置きされた上で俺達の紹介をされ、作業開始。


 つうかね。作業場にいる人の半分以上、日本人じゃないのです。
ブラジル人と思しき人達、それから中国人と思しき人達が過半数を占めていて、ちょっと困った事があってもコミュニケーションが成立しづらい。まあ、それは向こうも同じ事だろうからお互い様なんだけどね。
阿呆ほど広い倉庫の中でひたすら段ボールを組み立てて居たのだけど、寒い。これは完全に俺の判断ミスだったのだが、室内だから暖かいだろうと思ってあまり厚着をしてこなかったのだ。しかも上着はレザーだから、作業時に着る類ではないし。
なんとかお昼までは堪え忍んで、事務所で余った作業着をお借りしよう。


 お昼ご飯を食べ、作業着をお借りし戻ると、先程のイジリー岡田似の男が「なんだ兄ちゃん、寒かったのか」と声を掛けてきた。
「ええ、なので作業着をお借りして参りました」と答えたら「脱げ」と。
「これから作業着脱ぎたくなる現場につれてってやる」と。
お前それ絶対配慮じゃあねえだろう。


 連れてこられた先は、ひたすら段ボールを加工するところ。機械で切り込みを入れられた段ボールの邪魔なところを切り取って定数分まとめ直し、それを縛ってパレットと言われる台に載せる作業をするところ。周りを見渡せど段ボールの山、山、山。
大体、一度に両手で持てる限りの量を抱えて作業台に持って行き、そこで一気に切り込みの所を抜き、縛り担当の人に流す。
段ボールと言うと軽そうだけど、紙だから実は相応の重量がある。確かに数トンもあるようなものを運ぶ仕事じゃないが、これ事務所移転よりもキツイ気がするのは俺だけなのだろうか。
プロレタリアートと言う言葉が頭をよぎって仕方がない。


 普段、外国から出稼ぎに来ている人達がどういう仕事に従事しているかはあまり知られてはいない。
単純作業、或いはあまり人がしたがらない仕事に従事していると聞くことはあっても、どんな事かはあまり知られていない。
恐らく、今俺がしているような事が彼らの主な仕事になるのだろう。冷暖房も無い、粉塵の舞う広い倉庫の中で、頭を使わず、只単にベルトコンベアの代わりとして体を動かし、そして恐らく俺達よりも安い賃金を貰う。まだ今は季節柄良い。真冬や真夏は最悪な労働環境になるだろう。
ああ、これが外国人の労働現場の実態なんだと実感する。そして、賃金こそ違うだろうけれども、所謂フリーターや派遣と言った非正規雇用者も、彼ら外国人労働者とさほど代わりはないと言う事実を痛烈に感じる。
一度、厚生労働省の役人や大臣はお忍びでこういった所で作業に従事する研修を受けさせるべきだ。本当にそう思った。


 5時近くなると周りの人達が片づけの準備を始めた。朝から一緒に仕事をしてきた李さんと言う中国人が「ジカン、オワリ」と俺に笑顔を向け肩を叩いてきた。お疲れ様でした、と返事をして俺も上がろうとしたところ。
件の、イジリー岡田似の男が「何帰ろうとしてんだよ。おまえ残業」、と。
なんでも、俺達が遅刻したから1時間残業なんだと。遅刻相応分の残業ならわかるけど、更に時間上乗せかよ。
いや、残業するのはいやだけど、それでも仕事が片づかないとかって理由ならそれは詮方なき事。文句言ってても始まらない。
けれど、これは懲罰残業ですよな?
厭な事があると人間は笑うしかない、と西原理恵子の漫画の中で見たことがあったが、俺もそうしていた。
笑顔で「分かりました!では作業指示をお願いします!」と、やけにさわやかに、そして笑顔で答えていた。尤も、目が笑って居なかっただろうが。
ま、作業した分、銭貰えるなら構わんけどよ。そう、総ては金の為よ。


 他の人達より遅れる事1時間、漸く仕事を終え、まずは作業着を丁重に礼を述べお返しし、そして帰る準備をして先程のイジリー岡田似に慇懃に挨拶をし、とっととその場を後にした。
バスを待ちつ相棒の女の子と話しをしていた所、綺麗な夕焼け。仕事は大変だったけど、良いものは見られた。
例え厭な事ばかりであったとしても、その中で学ぶ事や楽しいこと、美しいものを見る事を忘れたくはないし、忘れないようにしたい。


 翌日早朝、会社から電話が掛かってきた。この現場に今から入ってくれないか。と。
昨日のダメージが思ったより体に残っていたし、どれだけ急いでも確実に遅刻するし、それでまたあの男にガタガタ言われるのも癪なので無理です、行けませんと答えた。
後で聞いた所によると、昨日の相棒の女の子が二日連続で入れていたのだったが、急に熱を出したので行けなくなったらしい。
「ああ、そういえば辛そうでした」とフォローしといてやったが、あの子、多分逃げたな。
そう言えば「同じ人が良かったのだが」と朝礼で嫌味を言われたが、そうか、そう言う事か。皆、一日やって逃げてるって事か。
思わず心の中で喝采
どうして逃げられるのか、と言う事に気が付かないようでは、所詮その程度。叩けば埃が出そうな会社であったしな。


追記 仕事を終え後日給料を貰いに行ったら、その金額の安さに驚いた。
普通は決められた時間に対する賃金が表にしてあって、そこに交通費1000円分を含めた金額が貰えるのだが、このクライアントの場合は単純に時給計算なんだと。実働8時間を越えても居ないから残業代は1.25倍されてないし。
説明によれば希に、そう言った賃金形態を取る所があるらしい。それを確認しなかったのは俺のミスだが、遅刻したのは俺の所為ではないし、腑に落ちない点は多々ある。
交通費が結構掛かっているので、それを差し引くと時給換算で500円未満。莫迦らしい。