デブリーフィング:新卒採用援護

 のべ2週間近くに渡って赴任していた、某大手メーカー本社での新卒採用の仕事が終わった。
金銭的なものよりも、様々な事を学べた事が俺にとって非常に大きな糧になったし、会社の人達もとても好印象で、楽しく、まるで夢を見ていたかのような仕事だった。



 最後の数日は二次面接にやってきた人達の案内だった。
一次の時に案内した人達を見送る際には「またお会いできる事を楽しみにしています」と言ったのだったが、二次にやってきた人達の中には、「またお会いすることが出来ました!」と言ってくれる人がいたり、「先日は大変お世話になりました」と言われ、俺が素っ頓狂な顔をしていると、「迷って遅刻しそうで慌てていた所を見つけて頂いて、一緒に走って受付まで案内して頂いたばかりか、途中で十分落ち着くようにして頂いたおかげで、逆にリラックスして臨めました」と言われたり。
そう言うのって嬉しい。


 さて、二次では更に俺の役割はより重要なものとなり。
司会進行も担当する事になった。当然、俺の役柄は人事部採用担当。
一番最初に表に立って会場へと学生を案内した後、その会場で「この度は×××社の個人面接にお越し頂いて誠に有り難うございます。私は人事部採用担当のWACREMAと申します、どうぞよろしくお願い致します」と自己紹介。
最初こそ緊張して噛んだりしたけれど、俺としたことが何を緊張してるんだ、と思ったら肩の力も抜けた。
その後諸注意、ビデオ放映のちテスト。
このテスト、実は採用とはほぼ無縁。学生達は一次の段階で既にWEB上で行ったテストの続きだが、これは実は心理学と密接に関係した性格診断のようなもの。だが、学生達からはやはり選考試験の一つだと思われていたらしく、質問も幾つかあったために「これはテストではありません」と念を押す羽目に。
また当日はそのテストを開発したと言う、芥川龍之介とマイケルジャクソンを足したような感じの「お茶の水女子大」の教授がやってきて様子を見たりもしていた。


 その後、面接場所が分かれる為に、俺は本社本館で面接を行う人達を連れ、面接待機場所へと案内。
応接室の椅子に座るよう指示すると、やはり皆緊張で堅くなっている。中には少し震えるような人も。それを解きほぐすのが俺の仕事だ。
「まもなく致しますと面接官が皆さんをお迎えに参りますので、暫くお待ち下さい」と伝えた後に、「なので、今僅かの時間しかありませんけれど、少しでも皆さんリラックスして、気持ちを楽にして下さい」と言って皆に話しかける。
本当はいけないのかも知れないけれど、場合に拠っては服装を整えさせたりもしたな。


 午前中ならば「皆さん今日何時頃起きました?」と問うて、皆緊張や課題の作成などで寝られない事を知った上で、「緊張して寝られないのは分かりますけど、でも何か大事な事を控えている時は、沢山寝ておくべきですよ。ある会社のCEOは、大事な商談などがある時は10時間かならず寝ると仰ってます」などと語る。
これは事実で、また俺自身の体験にも基づくもの。もちろん人によって最適な睡眠時間は差があるが、寝ることによって心身の疲れをきちんと癒し、また面接等の時にはよりスムースな脳の働きにさせる為にも重要な事だ。
あまり説教臭い事を言うと余計にプレッシャーになるだろう故に、その後必ず小ネタなどを挟んで笑いを取る。


 また、午後からの場合は遠方からの人が多いので、出身地などを聞いて−実は手元にある資料に出身地などの情報もあるから分かっているのだが−、名古屋の人が居たら万博ネタから名古屋グルメへの話題へと振り、そして各地の変な食べ物などの話題に振る。
食べ物というものは誰もに共通する話題であるために、非常に話を転がしやすい。
敢えて名古屋グルメの話をするのは、俺が良く知っているからというものと、奇天烈なものが多いから。
やっぱりあんこトーストの話などをすると皆の顔が一瞬曇るのが笑う。そこで大概は、「それって美味しいんですか」などと聞かれるから、「俺も最初気持ち悪くて食べる気しなかったんだけど、ある日食べてから今は好きになったよ」とジェスチャーを交えて語る。
「甘いものが嫌いでなければ、少しの勇気を出して是非ともやってみて下さい」などと言う頃には最初の面接に行く人が呼ばれるので、「いってらっしゃい」と声を掛けて見送る。


 只、やっぱり順番で最後まで残ってしまう人は、緊張が再度襲ってくる。
なので、「最後だとやっぱり緊張しますよね、でも他の人よりリラックスする時間があると思って下さい。」と語りかける。
顔や肩のマッサージをさせたり、その様子を「俺達、何やってるんだろうね。少なくとも面接前の光景じゃないよね」などと敢えて茶化してみたり。
自分一人だから、と言う安心感もあってか、その際に色々質問をしてくる学生も少なからず居て。
この後面接は何回有るんですか、とか、どういう対応が合格しますか、などと聞かれたものの、そんなん俺分かる訳無えだろう。適当にお茶を濁し、対応する。


 最後の一人が呼ばれた後は椅子などを整頓し、面接が終わって出て行く学生を見送る。
「如何でした?」と声を掛けると、大概の学生は「緊張しました」と返って来るけれども、中には「最初、あの部屋に案内された時は緊張していたけど、リラックスさせて頂いたおかげで面接でもあまり緊張しないで話せました、ありがとうございました」などと言ってくる人も居た。
それが本音か、或いは建前かは分からないけれども、そう言われるのはとても嬉しいし、少しでも手助けになったかなと思う。
そして出口の所で、「どうか良い結果が訪れる事を私は祈っております。またお会いできると良いですね。なので、どうぞお体にお気を付けてくださいね」と別れを告げる。
前にも書いたけれど、これは俺の本音の言葉。


 こういう事を一日7回から8回のローテーションで繰り返す。
座る時間なんて殆ど無いから最初は足腰がきつかったけれど、それも慣れてくればキツさは感じなくなった。ふくらはぎに筋肉がつき、体が適応し進化していくのが分かる。
また、最初こそ「え、なんでこんな仕事が?」と思ったが、やはり人事の手が足りなかったからだろう。それは俺が担当した仕事の重さと、それから社員の人達の疲労困憊ぶりからも良く分かった。


 良い所だった、と思うのはクライアントが大手だからでは無い。
これは前々回にも記述した事だが、やはり会社の人達の人柄であるとか、俺達に対する対応などが大きなものだろう。
出たお弁当もとても良いものだったし−最初は「今半」のお弁当が出て凄いと思ったけれど、それは単に人事の人のちょっとした贅沢で、その後は普通の仕出し弁当に変わったが、それでも結構な値段のものではあった−、また空いた時間が出来れば一緒に煙草吸いに行こうなどと誘われたり。
人と言うのは合わせ鏡で、他者に対する対応がそのまま己に対する対応に変わりやすい。それが分かっているからこそ、ああ言う対応をされたのだろうし、また俺も快く仕事に就けたのだと思う。
無論、それを支えるバックボーンがあるからこそ大企業の所以なのだろうし、また大企業であるからこそそうした対応が必要になるのだろう。


 人事の仕事としては、寧ろこれからが重要で、かつ忙しいものとなるだろう。俺達が手伝ったのは本当にさわりだけで、その本質的な所までは到底辿り着いていないだろう。だからそれだけで、訳知り顔をする訳にも行かない。
また仕事に従事する内に、社員の方々とも次第に話すようになり、色々な裏話や実情なども伺う事が出来、恐らく俺が思っているほど良いところではない、と言う事も色々と言われた。
けれど、それでも尚、その会社に対する俺の憧憬は強くなったし、受けに来る学生達を羨ましくさえ思ったし、忠誠心という訳では無いが、その会社に対し礼を尽くそうと思った。


 様々な事で叱られもしたし、厭な思いも幾つかはした。給料も、交通費を差し引くと大した金額にはならなかったけれど、それでも俺は色々なものを学び、得た。
最後の業務が終わって挨拶をするとき、俺は本音として「本当に有り難うございました」と礼を述べていた。
俺のささやかな企み−あわよくば子会社かどこかの就職を紹介してもらう−は残念ながら幻と消えたが、それは望み過ぎだったかも知れない。
俺は学生時代も含め、今までに様々な所、職種で働いて来たけれど、ここまで楽しく、そして有難いと思った事は学生時代にやった「地質調査」とここだけだったよ。
いや、何かを学び、そして得たという事を考えれば、ここが一番かも知れない。
正直、キツイと思った事も幾つかはあったけれど、今出てくるのは感謝の言葉ばかり。
そう言う所に、「正社員」として俺は勤めたい。


追記 例えその会社が分かっても、心の中だけにそれは留めておくだけにして欲しい。
この会社は良い、と声を大にしたい一方で、明記すると恐らく迷惑が掛かるだろう事を鑑みれば、やはり明記する訳には行かないのだ。仕事とプライベートは別個たるものだし。
ひょっとしたらこれを見ている人の中には、俺が案内し話をした人も居るかも知れない。受かってると良いね、あそこは良いところだから。